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芽むしり仔撃ち / 大江健三郎

大江サンとわたし

大江サンが気になっている。読むと困惑するし、っていうか読みにくいし、っていうかワザと読みにくく書いてるとしか思えないような書き方してるし。でもしがみついて読んでるうちにゾーンに入る瞬間があって、そこを抜けると深い森に入ったような感覚に陥る。それが面白い。

初めて読んだのは「万延元年のフットボール」。そのあとよんだのが「同時代ゲーム」。次何読もうかと彷徨ってたら、方々より「芽むしり仔撃ち」の好評価が耳に入ってきたので手に取ったのでした。


読書感想文「芽むしり仔撃ち」

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<あらすじ>大戦末期、山中に集団疎開した感化院の少年たちは、疫病の流行と共に、山村に閉じ込められる。この強制された監禁状況下で、社会的疎外者たちはけなげにも自らの国を建設しようと試みるも、村人の帰村によって脆くも潰え去る。

コロナで大騒ぎしている現在、実は少しだけホッとしていることがあります。それはそれぞれが所属する組織体が混乱していて、個人がむき出しの不安にさらされているところ。怒られそうだけど、”個”の持っている不安や孤独がさらされてるからこそ、寄り添えるし時には連帯もできるんじゃないかという期待も持っています。「芽むしり仔撃ち」は、まさにそういう組織体と個を描いている作品といえるでしょう。

疎外される存在は主体的であることを疎まれる。

「芽むしり~」での疎外された者たちは、非常にバラエティ豊か。感化院の少年たち(僕、弟、南、その他)、疎開者の少女、朝鮮人の李、そして脱走兵。一方、村人たちの描写は平坦で記号的です。(村民、村長、女たち、子どもたち、唯一例外が鍛冶屋)そんな平坦なやつらは「僕ら」をじろじろ無遠慮に見ます。村人であるという匿名性と安全圏から異端者らを見る。今の私たちの生活にも読み替えができそうです。

物語初盤で疫病がおこり、疎外された者たちだけが村に集団で監禁されますが、疎外された者同士に連帯感が芽生えます。このあたりの下りがとても素敵で美しいシーンにあふれています。

年少の者たちがスケートリンクを作る無邪気なシーン。

弟と犬の優しい関わり。

猟で得た獲物を火であぶりながら、李の朝鮮語の歌を歌う祭のシーンは特になんともいえない一体感と温かさに溢れています。「これは祭の歌か?」「ちがう、葬式の歌だ/親父が死んだから習ったんだ」これに対して僕は「祭の歌さ」とかえす。いいわ~!

こうしたかすかな友情も、村人の帰還によって残酷に潰えます。疎外されていた者たちが自分たちの目線に立ち、連帯して自主的たろうとすることは、非常に不都合なことだからなのです。

社会規範からはみ出した者や、マイノリティー、社会的弱者を叩いたり排除するということ。なぜそんなことをするのか。それは今この社会において優位に立っている組織体にとって、体制を維持するのに都合が良いからなのかもしれません。

本作品が刊行された60年前。昔とさほども変わっていない現代を思うと、やべえなあ!と思いますが、コロナ禍の今こそ個と個が連帯して変われるチャンスなのかもしれません。





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