おやすみ私_ヘッダー2

おやすみ私、また来世。 #12

 彼女が高校を卒業したからといって、会える回数が増えるわけではなかった。彼女が浪人生ということもあり、その回数はこれから徐々に減っていくだろう。だから、比較的時間に余裕がある今は、可能な限り会っておきたいと思った。
 ──午後から彼女と会う約束をしていた日の午前中に、彼女からDMがあった。こんな直前に連絡があるのは珍しいことだったので少し驚いた。待ち合わせ時間の変更だろうかと確認してみると、そこには『体調が悪いので今日の集会は中止にします』と一文だけあった。随分一方的な内容だったが、どこか切羽詰まっているように感じた僕は、すぐに返信をした。そして、それに対してのリアクションはすぐにあった。
『うん。少し寝てれば大丈夫だと思う。ごめんなさい』
 その短い文章に違和感。彼女が直接的な謝罪の言葉を使うなんて初めてのことだった。僕が想像するよりも、ずっと具合が良くないのかもしれないと心配になる。見舞いに行こうと考えたが、僕は彼女が住む家の正確な場所を知らなかった。通っていた高校が小岩にあり、自宅が新宿以西の総武・中央線沿線にある、ということを何となく知っていたくらいだった。

 結局一四時に待ち合わせしていた集会は中止になった。彼女の体調が心配だったが、僕はどうすることもなく、ただ自宅でじっとしているしかなかった。
 出掛ける用事のなくなった僕は、ベッドの上に寝転がりながら、スマホを片手にだらだらとネットを眺めていた。好き勝手書きたい放題、後先考えないで他人を中傷する言葉の多くに辟易し、サイトを巡回するのを止めようとした頃、耳の奥で地響きが鳴るような、これまでに経験したことのない感覚がした。それとほぼ同時に、部屋全体が小刻みに震え、直後に目の前の景色が軋む。
 驚いた僕はすぐにベッドから起き上がる。部屋の隅で大きく左右に揺れるラックを抑えに向かうが、その揺れは足元がおぼつかなくなるほど大きかった。そうしているうちにキッチンの方からガチャガチャと食器が崩れ落ちる音がした。視界の隅で積み上げていたCDが倒れ、床に崩れていった。食器は諦め、今にも倒れそうなラックを支えていたが、今度はラックの上に立て掛けていたDVDの類が将棋倒しに落下していくのが見えた。床に落ちた衝撃で、いくつかのトールケースから勢いよくディスクが飛び出し、床に散らばっていくのが見えた。しかし両腕でラックを抑えている状態では、それを目で追うことしかできなかった。
 こんな大きな地震を体験したことはない。鼓動が速くなっているのがわかる。これは本格的に危ないかもしれないと、その後にとるべき行動を頭の中で逡巡する。しかし頭が巧く回らず、次の行動を導きだせなかった。人は余りに唐突に予想外のことが起きるとフリーズしてしまうようだ。揺れはそうしているうちに収まった。
 かなり長い時間揺れていたような気がする。これまでに体験してきた地震とは全く別の揺れ方だった。横だけでなく縦にも揺れた。すぐにテレビをつけたかったが、肝心のリモコンが見つからない。床に散らばるCDとDVDを掻き分け、リモコンを見つけると、急いで電源を入れる。すでにニュース速報が流れ、どの局も緊急速報を伝え始めていた。

──東北・関東北部で大規模な地震が発生
──震源地は宮城県沖
──東京23区 震度5強
──宮城県北部 震度7
──福島・岩手・茨城・栃木 震度6強

 東京の震度の大きさに驚く以上に、震源に近い宮城の震度七に思わず声を上げた。今さっきの地震が震度五なら、震度七というのは、どれほどの強い揺れかと恐怖を感じる。
 画面には発生当時の局内の映像が流されていた。地震発生と同時に、デスクに積み上げられた書類が雪崩のように崩れ、床に落ち散乱する。局員たちは驚き立ちすくむが、すぐに慌ただしく動きはじめる。どこかに電話をかける者、走ってどこかに向かう者。天井から吊り下げられた案内札は激しく揺れ、今にも外れそうな勢いだった。
 ベテランの女性アナウンサーが、各地の被害状況を伝え続ける。しかしその表情に全く余裕はなかった。続いて岩手・宮城・福島沿岸に大津波警報が出された。到達時間は約三〇分後。このときはまだ、その津波が後世まで語られる深刻な災害になるなんて想像もしなかった。
 ──スマホが鳴った。急いで取ると母親からだった。母親は動揺していた様子だったが、『無事なら無理して帰って来なくていいから、あんたはあんたの身を自分で守りなさいよ』と、母親の気遣いを感じた。僕は「そっちも大丈夫なら、何かあったら連絡して」と、すぐに電話を切った。
 ──彼女は無事だろうか? 手にしていたスマホからすぐに彼女に電話をかけた。いつもメールやDMのやりとりだったから、通話をするのは初めてだった。
 二回目のコールが鳴ろうとした瞬間に電話はすぐに繋がった。
「もしもし──あおりちゃん? 大丈夫?」
「うん。かなり揺れてたけど、なんともない。ジン君は平気?」
「こっちも大丈夫。何枚かCDとDVDが落ちてきて、傷ついたかもしれないけど──体調はどうなの?」
「それどこじゃなくなった。でも特に何ともないし。家族も全員無事みたいだから平気」
「そっか。それは良かった。じゃ、今日は家でじっとしてるのがいいよ。まだ、余震がくるかもしれないし」
「うん。そうする。ジン君は?」
「そうだね。しばらく外に出なくてもいいように買物に行くつもり。何も備蓄なんてしてないし」
「そう……それじゃ、気をつけて」
「うん。何かあったらすぐに連絡して」

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