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全てを受け入れて❓(=^・^=)💛

春の雨

今日は、春分、夜中から小雨が降り続いています。が、ここ北九州の門司港はそんなに寒い感じではありません。外の猫達にとっては過ごし易い時期となってきた様です。
晴れの日は家の横の路地で、食事をすることも多いのですが、雨ともなると、早朝から濡れない入り口のところが大にぎわいとなります。
これからは外で暮らす😸達にとっては、のびのびとエンジョイできるときかも❓ とは人間の感想❣❢ どんな状況でもヒトが心配するまでもなく、柔軟にたくましく、ある意味全てを受け入れながら生きていくのでしょうね~❣

今日の投稿は、日本の哲学者三木清
1897年〈M30〉1.5 - 1945年〈S20〉9.26 の言葉を拝借してます。
(見出しは別)

瞑想する犬


「たとへば人と對談してゐる最中に私は突然默り込むことがある。そんな時、私は瞑想に訪問されたのである。瞑想はつねに不意の客である。私はそれを招くのでなく、また招くこともできない。しかしそれの來るときにはあらゆるものにも拘らず來るのである。「これから瞑想しよう」などといふことはおよそ愚にも附かぬことだ。 
思索は下から昇つてゆくものであるとすれば、瞑想は上から降りてくるものである。それは或る天與の性質をもつてゐる。」          

思索する猫 

「瞑想のない思想家は存在しない。瞑想は彼にヴィジョンを與へるものでありヴィジョンをもたぬ如何なる眞の思想も、存在しないからである。眞に創造的な思想家はつねにイメージを踏まへて嚴しい思索に集中してゐるものである。                                 瞑想を生かし得るものは思索の嚴しさである。不意の訪問者である瞑想に對する準備といふのは思索の方法的訓練を具へてゐることである。」
          以上、三木清著「人生論ノートー瞑想について」より

思う事・・

彼らは一体何を考え、なにを思っているのでしょう。猫達や犬達と暮らしていると不思議に感じる事が多々あります。
もう既に、人間の瞑想・思索の段階を超えて、屹度、あのブルースリーが言ったような「Don’t Think ❣ Feel ❢」の精神世界に遊んでいるのではないのかとも思ったりします。
研ぎ澄まされた六感が全てを予言的に感じ取れるように、彼ら猫族や犬族は現状の日本の在り方の全てを感じとって、全てを受け入れているのではないのでしょうか。
そう、ひょっとしたら、私たち凡人が遠く及ばない境地の精神世界に居るのかもしれませんね~❣❢😽
彼らから学ぶ事もたくさんあるかも・・・💛
今の世の中、一番、戸惑って右往左往しながら困惑しているのは、現在の社会のシステムを作り上げた張本人、霊長類ヒト族自身といえるのでは・・。

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