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ひみつ道具のない「ドラえもん」は、果たして"不用品"になってしまうのか?
先に結論を言うと、私は『否』だと思います。
どうしてそう思うのか、少しずつ書いてみるのでお付き合いください。
0.ドラえもんってなんぞや?
さて、国民的アニメ「ドラえもん」について、
知らない方はあまりいないかと思いますが、ざっとご紹介です。
『ドラえもん』は、藤子・F・不二雄によるマンガが原作で、WikipediaによるとジャンルはSF生活ギャグ、連載開始は1969年。
アニメは幻の第1作である日本テレビ版が1973年に放送
第2作のテレビ朝日版1期が1979年4月から2005年3月
2期が2005年4月から現在まで放送されているので、超長寿ですね。
第2作1期の大山のぶ代さんの声で育った、という大人世代の方も多いのではないでしょうか。若い世代だと、水田わさびさんですね。
長期連載にありがちな設定のぶれや後付けもありますので、今回の考察では「設定ソースはこれだ!」といえない点もあります。
筆者が平成元年生まれなので、主に平成に入ってからの大山のぶ代時代のアニメ・映画(のび太の結婚前夜まで)をもとにしております。ご了承ください。
1.ひみつ道具=ドラえもん ではない
ドラえもんは、未来デパートでひみつ道具を購入している描写があります。
つまり、ひみつ道具はオプションであり、ドラえもんという子守り用ネコ型ロボット自体には付随していないといえるでしょう。
ドラえもんは、あくまで子守り用のロボット。
未来のひみつ道具がなかったとしても、役割を果たせるはずです。
本来のドラえもんの在り方に、
ひみつ道具の存在は絶対必要ではないわけです。
もちろん、主に映画の冒険パートではひみつ道具ありきでお話が進みます。空気砲、ショックガン、スモールライト、ひらりマントあたりは定番ではないでしょうか。
映画『のび太の大魔境』では、ストーリー冒頭に道具を置いていったりワニにどこでもドアが壊されたり、という感じでしたが、それでも全く使っていないわけではありません。先取り約束機とかチートですもんね!
だとしても、ひみつ道具のないドラえもんが無意味とはいえないでしょう。
映画『のび太とブリキの迷宮』ではさらわれて壊されてしまったドラえもんを助けるためにのび太たちだけで行動してますけども。
2.ドラえもんという存在
道具については、ちょっと一旦置いておきましょう。
ここで、ドラえもんの扱いについて取り上げます。
まず、野比家での扱い。
ドラえもんはロボットですが、飲食は可能なので普通に食卓についています。映画『帰ってきたドラえもん』では、ドラえもんがいることでママがハンバーグを増やしている描写がありました。
「ロボットだから、ご飯はいらないよね」とは、なっていないわけです。野比家では、立派な家族──つまり、のび太の兄弟的な扱いなわけですね。
次に各家庭の親御さんたち。
「ドラちゃんと一緒なら安心」的なセリフを親御さんがちょいちょい言っていた記憶があります。あの過保護なスネ夫のママでさえ、「ドラちゃまがついてたら安心」とか言ってました。
結果、全然安心できる状況ではなかったのが、映画『のび太と竜の騎士』あたりだったりしますが、まあ、基本は安心です。
というわけで、お友達の親御さんからは信頼されている。子どもを預けても問題ないと思われている。ようするに、保護者の立場で見られているわけですね。ちょっと年長なお兄さん的な扱いに相当するのでしょうか。
そして、定番のメンツ。
ジャイアン、スネ夫、しずかちゃんあたりに関しては、
旅行や冒険に出るために先導を任されたり任されなかったり。
頼れるけど抜けてるところもある友達的な感じに扱われているように思います。
便利に使われているとも言えそうですが。
3.友達・家族としての「ドラえもん」
ひみつ道具が使えるからドラえもんが必要だ!というわけではないのは、先にちらっと触れた通りです。
ひみつ道具だけが必要なのであれば、極端な話、ドラえもんにしこたまひみつ道具を仕入れさせたあとに四次元ポケットを取り上げれば済みます。
スペアポケットでも可能ですが、ポケットの中を探るとドラえもんはくすぐったいようなので即バレしますね。
ひみつ道具と切り離したときのドラえもんに、どのような価値があるのでしょうか。
子守り用ロボットとして見るのであれば、幼児が対象のはず。
しかし、野比のび太は小学五年生。子守り対象には大きいですね。
更生させるため、みたいなノリで未来からドラえもんがきたわけですが、未来の技術が詰まったひみつ道具を取り上げられたとき、ドラえもんには何が残るのでしょうか。
それは、友達あるいは家族としての存在でしょう。
「たすけて!」と言ったときに、力になろうとしてくれる
「困ったんだ」と言ったときに、理由を聞いてくれる
「遊ぼうよ!」と誘ったときに、ノッてくれる
「出掛けよう」と思ったときに、ついてきてくれる
かといって全肯定で、人間をダメにしてしまわない。
悪いことをしたら叱ってくれて、
良いことをしたら褒めてくれて、
遊ぶときは一緒に悪ノリもしてくれて、
辛くなったときには寄り添ってくれて、
いざとなったら一緒に叱られてくれる
かといって受動的で、何でもかんでも受け身というわけではない。
何なら、嫌だ!と思ったら「未来に帰るから!」なんて、ちょっとした家出ムーブまでかましてくれる。
たぶん、子守り用どころか全人類に必要な存在なのではないでしょうか。
子どもから大人まで、あらゆる人にとって必要な存在。
むしろ、大人だからこそ、必要になってくる傍にいてほしい存在。
人間のパートナーとして、完成された存在として見れば
ドラえもんというロボットは、この上なく完成度が高いといえるでしょう。
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