~罵声、嘲笑~担任に2年間いじめられていた話⑥
↓の続きです。小学5年生の時、私をいじめてきた担任(T)が、小学6年生でも担任になってしまいました。
そうして幕を開けた絶望の1年。
始業式の次の日、5月に行われる運動会の係決めがあった。係が黒板に書いてあって、そこに自分の名前の書いたマグネットを貼って決める方式だった。
私はなにをするにも遅いし、席も後ろの方で、焦っている間に係はほぼ埋まってしまい、残りは応援団だけになってしまって。
それを見たT(担任)は、クラスのみんなを座らせ、私だけを立たせて
「お前に応援団ができるわけないだろ?wどうすんだよ」と言った。
正論だった。私はあがり症で、応援団どころかクラスの人の前で発表することすら、ままならない。声が小さい、とTに何度怒られてきたかわからない。
そんな私に、応援団なんてできるはずがないのだ。そんなこと、私にもわかっていた。
けれど、どうすればいいかはわからなくて。
ただ、立ち尽くした。
そんな私のことが気に入らないTは、
「お前に応援団ができるのか?言ってみろよ」
と、さらに圧をかけてきて。
「…できないです」
震えた声で、そう答えるしかなかった。
するとTは、
「誰かに譲ってもらえよw誰かいるか?こいつの代わりに応援団やってやるやつ」
と言って、クラスのみんなを見た。
そんな人、いるわけない。クラスの人みんなが、私と目を合わせないようにしているのがわかった。
「ほら誰か、応援団すらできないこいつと代わってやれってw」
変わらず飛んでくる罵声。
そんな中、手を挙げてくれた男の子がいた。
「おお𓏸𓏸、ほんとありがとなw」
と言うのもつかの間、
「この係、あいつにできるかなw」
譲ってくれた子の係は、決勝審判。徒競走や障害物競走で、順位を決める係だった。
「あいつ、のろまだからなw」
もうやめて、
そう思ったけど、声に出すことなんてできなくて。しばらくTとクラスメイトに、笑われたままだった。
譲ってくれた子には、感謝しかなくて。その後お礼を言いに行ったけど、無視されてしまった。
この時から、係決めがトラウマになって。
中学校や高校の係決めでは、誰もやりたがらないような係を一番に選ぶようになった。
もう、Tはいないとわかっているのに。
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