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生きる#19 御狩感謝祭で感じたこと

わたしの住む地域では、御狩祭と呼ばれる神事を行う神社がある。

猟期に入る前の「御狩安全祈願祭」で、事故や怪我なく狩猟を行えるよう祈願し、
猟期を終えた後の「御狩感謝祭」では、いただいた山の恵みや無事に狩猟を行えたことに感謝と御礼を行う。

この地方の人々は御狩祭に限らず神事や神社をとても大切にしている。
「熱心」というより、もう生活の一部に神社が当たり前にあるのだ。

移住者であるわたしにとって、最初は何かとびっくりすることも多かったが、
狩猟免許をとって活動を始めてからは、この御狩祭がわたしの年間スケジュールに自然と組み込まれるようになっていた。

御狩祭には、県内の猟友会の重役の方も多く参列され、時には日本のトップが来られることもある。

昨日、御狩感謝祭に参列させていただいた。
厳かな空気の中、神社の宮司さんも猟友会の先輩方も皆、慣れた様子で滞りなく式が執り行われる。
毎度密かに感動し興奮しているのはわたしだけのようで、先輩たちはもう何十年も重ねてきている恒例行事。
特別なことをしているというより、当然のことをしている、といった空気だ。

思えば、わたしの出逢ってきた先輩たちは、皆根底に自然や生き物への畏敬の念を持っていた。
山に入らせていただき、自分達が必要なだけ捕獲し、その命を余すことなく感謝していただく。

わたしは「鳥獣被害対策」の入口からこの世界に入った身だが、先輩方のこのマインドや脈々と受け継がれてきた歴史文化に触れてきたからこそ、「一頭でも埋めたくない」という気持ちになったのかもしれない。

イノシシが増えて農作物被害が深刻な現代、猟期を終えた3月からは「有害鳥獣捕獲」としてイノシシを捕獲する。
「イノシシを捕獲する」という行為は同じなのに、人間側が決めたルールの元で呼び名も目的も変わる。
現場でいろいろな経験するたび、簡単に答えが出せないテーマをいつもぐるぐると問い続けている。

それでも、毎年この神事に参列し、先輩たちの背中を見ることで、原点に立ち返らせてもらえる。


追記
毎年、感謝祭では猟期に捕獲した獲物を献上し、終わったあとはうさぎ飯が振る舞われる。
このうさぎも猟期中に捕獲されたものだそう。
うさぎを一羽、二羽と数えるのは、四つ足の獣の肉を食べることを忌んでいた時代に鳥と同じ扱いにして食べられていたからだ、と猟師の先輩が教えてくれた。

写真の中の黒っぽい塊がうさぎ肉。
イメージより筋肉質で、かみ締めるたびに旨味が感じられる力強い味だった。
(家族でもこんな話をしながら美味しくいただきました)

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