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可能性の砂【再掲】

 してはいけないから価値があった。お酒も煙草もエロ本も。深夜徘徊だってそうだ。許可されたことになんてなんの意味もなくて、禁止されているからこそ意味があった。僕らの退屈な日々には、それが全てだった。

 僕らがよく集まった川沿いの公園には、今では個性のない戸建てが建っている。個性のない夫婦と個性のない子供が教科書的で清潔な幸福を過ごしていた。その場所には今でも、僕らの届きようのない夢が埋まっている気がした。彼はよく言った。俺ら2人で曲を出そう、と。中学3年生の僕らの手にはあらゆる可能性が握られていた。それは錯覚だったのかもしれないが、それでも確かな感触がそこにあった。2人でスピーカーを囲み、レゲエやヒップホップを聞いて、ジェーポップを馬鹿にし、ヘタクソなフリースタイルラップを朝までして、背伸びして買ったセブンスターを吸い、帰りのコンビニでカップ焼きそばを食べた。大人も社会もシステムも、そのどれもが不純で間違っていて僕らの汚れなき価値観だけが全てにおいて正しいと思っていた。

 中学を卒業し、彼は偏差値40の高校に進学し、僕は埼玉県で2番の高校に進学した。彼には彼だけの友達が増え、僕は塾に通い始めた。そのせいで会う頻度は減っていったが、それでも僕らは月に2回はあってあの日と同じような時間を過ごした。

 「俺も大学に行こうと思う」と、ある日彼は言った。高校2年の冬だった。彼は僕がよく使っていた公民館の小さな図書室に顔を出すようになり、週に3回ほど一緒に勉強した。その頃にはもうあの日のように夢を語ることも無くなっていた。現実をじわじわと受け入れていき、手のひらにあった可能性が少しずつこぼれていくのを感じていた。

 高校3年の11月頃から彼は図書室に来なくなった。自分のことに精一杯だったため、特に連絡することもなく、気がつけば受験を終えていた。僕は結局志望校に落ち、中期試験で受かった行きたくもない大阪の市立大学に、彼は東京の無名私立大学に進学した。夏休みに埼玉に帰省したとき、久しぶりに彼に会った。大学を辞めようと思う、と彼は言った。
「今の大学を別に卒業したところで大した学歴がつくわけじゃないし、親にも申し訳なくなった」
「でも大卒ってだけで充分武器になるよ。高卒以下は採らない会社だってあるし」
「でももう決めたから」
僕は悲しかった。別に彼が大学を辞めるからじゃない。それは彼が決めればいい話だ。僕をどこまでも辛くしたのは、話すべきことが何もなかったことだ。あの日のあの時の僕らはきっと同じ方向を見ていた。同じものを見ていた。だからこそ話すべきことが無限にあった。今は違う。彼と僕は決定的な岐路を通過し、気付かぬうちに離れ離れになっていた。そこに同じ景色なんて何一つなかった。

 彼も同じことを感じていたのか、それ以来会うことは無くなった。僕は帰省しても似たような景色を共有する仲間としか会わなくなった。僕も怖かったのだと思う。自分の未来が、正しいと確信していた未来が揺らいでしまうことが不安だった。

 僕は大学を卒業して、関西のハウスメーカーに就職し、営業部に配属された。そこにはもちろん僕の楽観視していた未来はなかった。その場所で人として扱われるためにはどこまでも非人間的であることを要求され、気づけば、僕らが犬以下たとバカにしていた資本主義の傀儡になっていた。

 28歳の夏、お盆に実家に帰った時、スーパーで彼の父親に会った。そこで彼が大学を辞めた後の話を聞いた。彼は大学を辞めて清掃会社に就職した後、またそれを辞め、今はコンビニの夜勤をしながら小さな地元のヒップホップユニットに参加していた。明後日、川越の小さなライブハウスで彼のステージがあることを聞いた。

 そのライブハウスは川越駅から7分のところにあった。ちょっとした商店街の地下にあって、僕は入口でワンドリンク制のチケットを買い、中に入った。そこは強い爆音に支配されていて、ステージの右端に彼がいた。僕はライブハウスの後ろに寄りかかり、彼のラップを聞いた。彼は命を削って歌っていた。夢、挫折、信念、不満、そういったものがその言葉以上に伝わった。彼は僕が既に失ってしまった手のひらの可能性を、一粒もこぼさぬようにと大事に大事に握っていた。あの日と何も変わらない彼をシラフで見ていられなくて、僕は左隅にあるバーカウンターでテキーラをショットで3杯飲んだ。そうやってなんとか自分を保って彼の言葉を聞いた。自分の人生が恥ずかしく思えた。

 ライブが終わり、彼がステージから降りた時、僕は話しかけようと思って近づいた。おそらく僕に気がついたのであろう彼は僕を少し見た後、目を逸らし気付かぬふりをした。僕は何を期待していたのだろう。あの日2人で曲を作ろうと話したこと忘れてないからな、とでも言ってもらえると思ったのだろうか。

 僕は話しかけるのをやめてライブハウスを出た。酔いが回り、酒に弱い僕は既に歩くのもままならず、途中の電柱に何回もゲロを吐いた。とても寒い夜だった。前を見ると、そこはグラグラと揺れていて、暗くて、誰もいなかった。それは紛れもなく僕の道だった。教科書的で清潔な幸福すら掴めない、僕の人生だった。

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