「この院生はノーベル賞を授かる」とアインシュタインが評した論文(1924年)その3
その2からの続きです。前回取り上げたのは、ルイ・ド・ブロイくん1922年(当時30歳)の論文でした。
今回見ていくのは、同じ年に出た続き的なものです。「黒体輻射と光量子」("Rayonnement noir et quanta de lumière")
わずか7ページなので、ちゃちゃっと目を通していきましょう。ルイくんこの冒頭ページで「光の原子」(d’atomes de lumière)と切り出します。アインシュタインなら「光量子」、ルイスなら「光子」と呼ぶところを、ルイはより素朴に「光の原子っ!」と呼んでの開幕です。
次に、議論をシンプルにするために「hν を光の原子の一単位として、2hν とか 3hν とか 4hν とかについては省く。つまり以下の議論に置いて、光の原子のエネルギーはすべて hν とする」の意の宣言を行います。
ちなみに 2hν とか 3hν とか 4hν とかについては「光の分子」とルイくん呼んでいますね。hν が「光の原子」で、それが群れなすと 2hν とか 3hν とか 4hν とかの「光の分子」。
本論文で取り扱うのは hν の光子すなわち「光の原子」に限定するというわけです。
ここからが面白いです。「光の原子」について質量が存在すると仮定して、運動エネルギーと運動量の式を導出し、次に「光の原子」の質量を無限に小さくしていくと、どうなるか…
どうなったと思います?
ウィーンの輻射公式が導出されるのですよ。どういうわけか観測データとよく合ってしまう、しかし根拠については緩い(はっきりいえば間違っている)あのウィーンの輻射公式がです。この公式については前に何度か触れたので興味のある方はどうぞ。これの後半に出てきます。
ルイくんは、気体分子運動論のメソッドで「光の原子」について考察したのです。きたいぶんしうんどうろんってわかりますか、これまで何度かお見せしたこれですこれ。
アルベルト・アインシュタインが1905年に「光は波であるといわれているけれど、気体分子のアナロジーで考えると、どういうわけか実験データをうまく説明できてまうんだよなー」と論文を出してほぼ完全に黙殺されて終わって、しかし17年後にこの研究でノーベル物理学賞をいただいたという話を思い出してください。
ルイくんの胸には、若き日のアルくんの着想をさらに飛躍かましたれという野心があったのでしょう。(奇しくもアルのノーベル賞受賞と同じ1922年のことでした)「アルさまとは違うやり方やけど、気体分子運動のメソッドで計算していくと、ちゃんとウィーンの分布公式まで行けるで!」と算出したのです。
彼によると「光の原子」の質量が極めて小さいものであれば、ウィーン分布公式が導出できるし、その場合の速度はエネルギー(というか振動数 ν)とともに変わるが、ほぼ光速であるのだそうです。
ただ、「ほぼ」っていわれても… 光速度不変の原理に反するのではないかと言いたくなります。それから光子(ルイくんがいうところの「光の原子」)に質量がわずかにあるという主張も、アルベルトの主張に喧嘩売っているわけです。光子に質量わずかにありというのはルイスの説(前前回にちらっと触れたアレ)ですしね。それでいて気体分子のアナロジーでどこまでも思考するスタイルは、もろに若き日のアルくんスタイル!
もっと難なのは、「光の原子」の速度がエネルギーとともに変わるという彼の算出結果をとりあえず受け入れるとして、そのエネルギーは hν のことであるから(何しろルイくんそのひとが論文冒頭でそう前提している)この「ν」(振動数)が具体的に何の振動なのか、はっきりさせないといけないのに、はっきりしないのです。
この疑問についてルイくんは、光の波(電磁波)とは違う波があって、その振動数が「ν」だと考えました。前々回の後半で触れたレオン・ブリルアンの「第二の波」のことが、ルイくんの脳裏にはありました。「光速度とは違う伝播速度を持つ波」が「光の原子」には伴っているぞ、と。
これは津波のアナロジーでもわかりにくい、何か特殊な波のようです。その謎解きに、ルイくん翌1923年に挑みます。
予告編も兼ねて結論を先に言ってしまうと、彼の新説は途中で行き詰ってしまいました。計算するとその波は光より速い波(というか伝播速度)なのです。宇宙の王者・相対論さまに逆らうとはいい度胸ですよねルイくん31歳。
詳しいことは次回。ぜったいみてくれよなっ!(CV : 野沢雅子)