8mm Film Project──映画詩を読む
「見る場所を見る」というプロジェクト
「鳥取の映画文化」をテーマにしたリサーチプロジェクトに、2022年度から共同企画者として参加した。2023年4月現在、この展覧会は2度開催されている。第1弾では鳥取市内、第2弾では米子・境港市内にかつてあった映画館&レンタルビデオショップを、Claraさんによるイラストで記憶の復元を試みる取り組みである。
私が企画をしたのは第2弾の展覧会における第2部「紙の上のスクリーン——鳥取の映画館と「読む」メディア」である。展覧会の開催をきっかけにして、鳥取市内の映画館で配布されていた印刷物を数多く提供していただいた。映画研究の分野では作品の分析に限定することなく、さまざまなアプローチ方法が用いられているが、映画館から配布された印刷物をはじめとするノンフィルム資料の研究が近年は注目を集めている。これにはフィルム資料と比べると重要性が認められずに収集・保存が後回しにされてきたという歴史背景がノンフィルム資料にはあるからだろう。
企画者自身がオフ・スクリーンのメディアを対象にして鳥取の映画館について研究をしていること、そして展覧会の運営やアーカイブについて以前から関心があったということもあり、共同企画に至った。
映画(館)とフィルムの関係
鳥取の映画館の歴史を調査する上で、一番に参照するのは当時の様子が確認できる新聞記事や郷土資料の数々である。その際に「フィルム」に関する記述が頻繁に出てくる。言葉そのものを耳にしたことはあるが、私にとって「フィルム」は古いものという認識であった。しかし、前述した展覧会で提供された資料から、2010(平成22)年当時の鳥取シネマはフィルム上映をしていたことが確認できた。つまり、映画館に集う観客が「フィルム」で映像を見ていた歴史は私が想像していたよりもずっと長いということである。
このような気づきから、今後映画館に関する研究を継続していく上でも、「フィルム」の歴史や、映写の仕組みについて基本的な要点だけでも学んでおく必要性を強く感じた。
「8mm Film Project ──映画詩を読む」
プロジェクトの目的
そこで、「8mm Film Project ──映画詩を読む」を立ち上げた。
このプロジェクトの目的は主に3つある。
1つは視覚メディア研究の入口として「フィルム」の理解を深めること。2つ目は映像を見る環境の変化について考えること。3つ目は研究や発表、制作におけるヒントを提供することである。
4月になって、視覚メディア研究に関心のある新3年生が研究室に加入した。そこで、研究を行なっていく上でのプロセスや映像の歴史をぜひ考えてもらいたいと思い、以上のような3つの目的を提示した。
本プロジェクトを報告する場として、「専門ゼミ」の時間内でレクチャーを担当し、フィルムの歴史や8mmフィルムの映写体験を90分内で実践できるように授業計画を立案した。授業には3・4年のゼミ生に参加してもらった。
「映像」「映画」と「フィルム」の歴史
「動く絵」の誕生
私たちの視覚には残像現象が働いている。身体に起こるこの現象を利用して、映像の技術は今日まで発展してきた。
その一例として挙げるのは、ソーマトロープ(thaumatrope)。「驚異の回転盤」を意味しており、1825(文政8)年にイギリスのジョン・エアトン・パリス博士によって発明された。カードの表裏で異なる絵を描いて高速回転させることで、それぞれの絵が重なり合って見える。他にも、影絵や幻燈といった技術があり、多くの人が「動く絵」を求め、楽しんでいた。
映画の歴史は約130年
映画の歴史を振り返ると、およそ130年前から始まっている。
キネトスコープ(kinetoscope)は、1891(明治24)年にトーマス・エジソンが発明した映画鑑賞装置だった。木箱の中に繋がれたフィルムが入っており、それを上から一人で覗いて楽しむものだった。スクリーンに投影する鑑賞装置ではなかったが、絵を使ったアニメーションではなく、写真を使った映画に近い映像を見ることができるのが特徴。
1896(明治29)年の神戸で、日本国内で初めてのキネトスコープが上映された。このことを記念して、1987(昭和62)年に映画記念碑である、メリケンシアターが建てられた。
キネトスコープ誕生の数年後、フランスのリュミエール兄弟がスクリーンに映像を投影するシネマトグラフ(cinématographe)を発明した。1895(明治28)年12月28日に、パリのグラン・カフェにおいて、リュミエール兄弟は観客から入場料金を取って上映を行った。現在の映画館での上映形式は、この時から始まったとされており、映画の誕生日として設定されている。1人で鑑賞するキネトスコープと比較すると、スクリーンに投影することで大勢での視聴が可能になり、観客との同時性が生まれるという点でも彼らが映画の創始者となった。
日本にシネマトグラフがやってきたのは、1896(明治29)年のことで、京都の実業家・稲畑勝太郎によって輸入されたとされている。
さまざまなフィルム
前述した2つの鑑賞装置は35mmフィルムが使用されていた。これはスタンダードサイズとされており、一般の商業映画館でも使用されていたフィルムであった。
キネトスコープやシネマトグラフの誕生によって、映画は人々の生活に溶け込む娯楽文化となっていくが、映画を鑑賞する文化が進むと、今度は実際に自分でも映画を作ろうとする人々が誕生する。しかし、従来の映画館で使われている35mmフィルムのカメラが非常に重く、かさばってしまうため、手軽に撮影するには不向きであった。そこで誕生したのが、「小型映画」だった。小型映画についての説明は以下の通り。
「小型映画」と「映画詩」
小型映画の歴史
小型映画は、1887(明治20)年にイギリスで17.5mm映画の「ビオカム」が試作されたことにより、歴史が始まったとされている。これ以降、さまざまなサイズのフィルムが誕生したが、1920(大正9)年にフランスのシャルル・パテーが9.5mmの「パテーベビー」を完成・販売したことで好評を博し、普及した。1923(大正12)年にはアメリカのコダック社が16mmフィルムの実用化に成功し、1932(昭和7)年には8mm映画(ダブル映画方式)が誕生した。
日本における小型映画ブーム
日本国内での小型映画ブームは戦前と戦後それぞれに1回ずつ起こった。
戦前のブームは1930年代前後で、9.5mmフィルムが中心。戦後は1950年代後半にブームが再び起こったが、8mmフィルムを中心としたものだった。
以下に紹介するのは、戦前のアマチュア映画についてである。
小型映画が定着したのは、パリで香水の輸入商をする伴野文三が1923年に9.5mmのパテーベビーを輸入したのがきっかけだった。
瞬く間に日本全国で小型映画ブームが広がり、アマチュア映画クラブが各地で誕生する。1926(昭和1)年の関西では「ベビーキネマクラブ」、関東では「東京ベビー倶楽部」が生まれた。また、1928(昭和3)年には『アマチュア・ムービース』といった、日本で最初の本格的なアマチュア映画雑誌が創刊された。
日本が戦争に向かうと、小型映画を巡る状況も困難なものになったが、1937(昭和12)年の日中戦争が始まる頃までは自由に作品の制作が行われていたとされる。しかし、戦前に制作されたアマチュア作品はほぼ全てが所在不明になっており、戦前の状況を辿ることは難しい。
「記録映画」としての小型映画
小型映画のブームによって、次第にコンテストが開催される。
評価の場が存在することで、作品に対する意識が高まって表現のレベルも向上するという点で、コンテストが小型映画に与えた影響は非常に大きかったことが窺える。
初期のコンテストでは、創作作品は自由課題として出品されていたが、表現レベルが進歩していくと次第にジャンルで部門が分けられた。
1931(昭和6)年開催の大阪毎日新聞社主催「日本写真美術展覧会」小型映画部門における応募規定として、①劇映画②記録映画③教育映画(学術映画)④芸術映画といった4つのジャンルが設定されていた。
アマチュアが出品した作品では、②記録映画が最も多かった。
日本国内でパテーベビーが輸入された当時、小型映画は家庭用アルバムの延長、つまり「動く記念写真」とみなされていたようで、子どもの成長を記録したような家庭映画や旅行先の名所を撮影した風景映画が大半を占めていた。
小型映画にとって自分の周辺にある事実を記録することが基本的な態度であり、「記録映画」こそが当時の小型映画のアイデンティティであったと思われる。
以下、他の3ジャンルについても記述する。
①劇映画は、全体の出品の中でも少なかったようで、小型映画で劇映画を作ることは非難される風潮にあったようだ。劇映画はプロの仕事であると考えられていたため、熟練者が劇映画を手がけるべきといった雰囲気があったことが影響していると考えられる。
③教育映画(学術映画)は、啓蒙的な目的を持った作品と定義されており、のちに「文化映画」と呼ばれた。たとえば、農作物ができるまでの過程や動植物の生態を記録した作品などが教育映画に分類される。
事実を記録することが目的とされているため、このような映像も記録映画と分類されるべきだが、あえて別のジャンルに分類される程、この種の映像を作るアマチュアが多かったようだ。
④芸術映画は、芸術性を追求した映画であり、当時のアマチュア作家にとって「前衛映画」(アヴァンギャルド映画)と同義語であり、前衛映画こそが芸術という認識だった。
小型映画に前衛的な作品が目立って多くなるのは1928年頃からで、作品の傾向は時代とともに変化していく。前衛映画は新しい映画の動向として注目を集め、『キネマ旬報』のような一般商業映画雑誌でも大きく取り上げられて話題となった。
アマチュア作家にとっても、小型映画の主流である記録映画の延長に前衛映画を想定することができたため、ドキュメンタリズムの傾向がある作品が多かった。
「映画詩」:小型映画の往くべき道
ジャンルの分化が進む小型映画だったが、当時のアマチュア作家たちによく読まれていたのは、北尾鐐之助と鈴木陽の共著『小型映画の研究』(1930年、創元社)だった。これは小型映画の参考書であり、冒頭箇所に「仏蘭西の前衛映画」と題した章があり、副題として「アマチユア映画の往くべき道」と記されている。つまり、これからのアマチュア映画は前衛映画に進むべきだと述べている。その中でも印象的な文章を以下に記す。
商業映画のように物語を構成・展開するのではなく、映画による詩、つまり「映画詩(シネ・ポエム)」を作るべきだと述べられており、小型映画の独自性を「詩」に見出していたと読み取ることができる。
ちなみに「映画詩」の例として挙げられるのが前衛映画であり、20世紀を代表する芸術家のマン・レイによる『ひとで』は代表的な作品として知られている。
本プロジェクトにおける「映画詩」
今回のプロジェクト「8mm Film Project──映画詩を読む」では、「映画詩」を用いたが、もちろん本来の意味とは異なる。独自の解釈としてこの語を使用するにあたって着想を得たのが、映画監督・原将人氏による次の文章だった。
つまり、フィルムは作者自身の言葉であり、作者がカメラ越しに見たささやかな歴史でもある。長い間映写されていないフィルムを今の私たちが見ることで、作者が何を意図して撮影・編集をしたのか、読み取ることができるのではないだろうかと思い、作者の言葉による「映画詩」を読み解くことを目的としたプロジェクト名を設定した。
プロジェクトの活動について
活動が始動したのは、担当教員の佐々木友輔先生がオークションサイトで大量に売り出される8mmフィルムを発見したことに始まる。段ボール箱の中にはサイズやケースがそれぞれ異なるフィルムが入っており、作品と思わしきフィルムにはタイトル名が記されたラベルがケースに貼ってあった。
2023(令和5)年の3月中にフィルムの状態を確認しながら、作品ラベルが貼ってあるフィルムを中心とした37本の映写と内容記録を行ったが、旅行時に撮影されたと思われる作品が多く、長さとして10〜12分の映像だった。たとえば、『春のドライブ』では京都の仁和寺や龍安寺、金閣寺や銀閣寺に赴いた際のことが記録されていた。
作者は兵庫県姫路市の出身であったようで、さまざまな構図で姫路城を何度も撮影した作品や、姫路張子といった郷土玩具の制作過程を記録した作品が見受けられた。これら作品が撮影された時期としては、ラベルや作品本編から1973(昭和48)年から1976(昭和51)年頃までのものだと推測ができた。また、作者本人によるロゴが多くの作品の冒頭部分に見受けられることから、アマチュアクラブ等に所属して活動していたのではないかと考えられる。
授業内で映写体験・鑑賞
以上を踏まえて、「専門ゼミ」の時間内で研究室の3・4年生に向けてレクチャーを行った。フィルムや小型映画の歴史について話した後に、実演しながら映写機の仕組みを説明した。理解してもらったことを踏まえて、ラベルが貼ってあるフィルムから気になる作品を選んでもらって、実際に8mmフィルムの映写まで体験できるようにした。
映像制作を行なっている人はもちろん、映像を分析して研究を行なっている人も熱心に鑑賞する様子が見受けられた。レクチャーに参加してくれた人の中には姫路出身の学生が居て、昔の故郷の様子をフィルムで見ることができて感動したとレクチャー後に感想を伝えてくれた。
振り返り
映画館の研究を始めて1年が経ったが、このタイミングでフィルムや小型映画に関する文献を基にしてレクチャーを担当することができて、今後の私にとっても非常に実りあるプロジェクトになったと振り返る。
私が行う研究において、映像や映画の歴史に加えて、映画館の映像環境について興行者と観客、それぞれの視点で考えることも重要なポイントであるため、実際に映写を行う機会やフィルムによる映像を鑑賞する人たちを擬似的に観察する機会を得ることもできた。
また、レクチャーに参加してくれた学生に向けてプロジェクトの目的をおよそ3つ設けていたが、授業時間内を通してフィルムへの理解を深め、研究や制作におけるヒントを各自で受け取ってくれた様子も見えたので、プロジェクトとして成功を収めることができたのではないかと思う。
本プロジェクトはひとまずこれで終了だが、フィルムや小型映画に関して新たに得た知識を、今行っている研究や今後控えている活動にも活かしていきたい。
参考文献
西村智弘「アマチュア映画のアヴァンギャルド」『映画は世界を記録する──ドキュメンタリー再考(日本映画史叢書⑤)』村山匡一郎編、森話社、2006年
福島可奈子『混沌する戦前の映像文化-幻燈・玩具映画・小型映画』(第Ⅲ部)思文閣出版、2022年
原将人「8ミリの新星 そして映画の誕生──日常的表現媒体として映画の獲得」『流動』9巻11号、流動出版、1977年
那田尚史「連載 日本個人映画の歴史(1〜8)」『映画実験誌 Fs』1〜8号、1992〜2002年
かわなかのぶひろ「映画〈前〉史略」『自己表現・映画をつくる』鈴木誠編、風濤社、1971年