computerizationによる設計とcomputationによる設計 :computational design

コンピュータ設計について。

表題の2つ ー computerizationcomputationは似たような字面で一見似ていそうな概念ですが、設計の立場としては全くことなります。この2つを意識して設計に向き合うことはコンピュータ設計の利点を活かしたプロダクトを作り上げる際に発想に影響を与えるのではないでしょうか。

computerization人が出来ることをなんらかの生産性の向上のためにコンピュータを使って自動化、情報化することをいいます。

computerizationによって
設計士がドラフターやT字定規や三角定規を駆使して図面を仕上げていたのが、CAD(Computer-Aided Design :コンピュータ支援設計)にかわり、

・線を引くことの省力化
・設計情報管理の容易化
・ペーパーレス化
・線-幾何情報の情報化、精緻化->人の技能によらず、まっすぐや任意の線を引くことができる

などが実現されました。

一方、computationでは人が出来ないであろうことをコンピュータを使って行いたいと考えます。帰結として、computational designでは、一言でいって「コンピュータにしか出来ない」と考えられるような途方もない数の試行錯誤を人の代わりにコンピュータが行ってくれることにより、量が質を生じさせたデザインだということが出来ます。こちらの仕組みはcomputerizationと比較するとまだ成熟しておらず、実現している例も多いとはいえません。

computational design はまだ一般に身近な概念ではないので、自然科学をアナロジーとして以下に説明したいと思います。

自然科学をcomputerのアナロジーとしてみると、自然は物理世界のルールを忠実に実行する究極のコンピュータということが出来ます。物理世界、例えば原子の振舞い一つ一つは単純であるのに、それらの相互作用によってあらゆる物理的な振舞いが実現されます。そして、それらがどんどんと自己組織化され、この世のものとは思えない複雑なシステムが誕生します。
このように細かなロジックの相互作用と積みあげが、結果的に人の想像をこえた設計物が創作されるーこれがcomputational designなのです。
自然が作り出す地形や現象、植物や生物、さらにはそれらの営みはまさに、そのような仕組みで、人を驚かせ、時に機能性や性能を発揮するのでcomputational な創造物といえるでしょう。

※"人が出来ないであろうこと"とはなにかというのは議論が非常に難しい。なぜなら、人がどうみてもできないような量的な問題を驚異的な知能、技能を集中させ行ってしまう人がいるからです。例えば、伝統工芸の超絶技巧や細密画の詳細な描きこみは一般的には超人的であるが、作者自体はコンピュータのような技術を使うことの方がよほど気苦労のある作業だと考える場合がほとんどでしょう。そのあたりの考察についてはまた別の機会に議論をしたいと思います。

computerizationとcomputationどちらが重要か、どちらが技術史的に先進的かといった優劣の議論をする必要はないと考えます。
20世紀的は大量生産、大量消費のパラダイムでした。computerizationの技術はフル活用され、人類にいくらか機能的な製品を提供してきました。今後も引き続き、人間は技術を飽和させることが出来ず、欲望を増大させるといった性質を考慮すると、21世紀、この先はさらに、ものの設計方法や製造方法が変化し、作る側も使う側も新しいものを求めてcomputational な方法で思考され、作られたプロダクトが次々と誕生するのではないでしょうか。

期待としては、computational designが自然のような性質を手に入れるのであれば、我々が自然に感動し、様々な恩恵を受けているように、自然に対するものと同じような大きな感動やおおらかな機能性を与え、想起させるような新しい自然となる人工物がつくられることになるかもしれません。

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