絵空事 -memoria-
遥か昔の、とある家での出来事。
「なあ、あんた。こんなところで何しとるん?」
「え? えっと…?」
突然現れたその存在に、少年は目を丸くしました。
「…、風邪、引いて。寝てるの。」
「ふぅん。…なぁ、これ、いらんの?」
目の前に並べられているのは、豪勢な食事でした。
「おなか、すいてない。…さっきまで、ねてたし」
「そうやな。…あんた、さっきまですごい、熱かったし」
「え?」
「おもんないから、治したった。」
「そう、なの。…ありがとう。」
「…なぁ、外、出て遊ばん?」
「え…。むりだよ、これ、食べないと。」
「…ふぅん? じゃあ、うちが食べたろか?」
「え? いや、そうじゃなくて…」
「っていうか、うち、おなかすいてて。においにつられて、来たんや。」
「ぁ…、そうなの。…じゃあ、いいよ。あげる。…熱、なおしてくれたんでしょう?」
「うん。ほな、いただきます。」
そう言うと、ふしぎな少女はすぐに料理を平らげました。
「…すごいね…」
「ごちそうさんでした。」
呆気にとられた少年の顔を見、少女はさもおかしそうに笑い、見つめます。
「なあ、ほら、遊ぼう!」
「え…。え、と…、こんど、げんきになってからなら。」
「…。…えー…」
「…だめなの?」
「…。しゃーないなぁ、ほなら、しんどいのも治してやるから。それでええやろ?」
「う、うーん…?」
いいのかなあ? と、少年は首をかしげましたが、そうこうしているうちに身体のしんどさは消え失せていました。
「はい。治ったやろ?」
「う、うん。…ありがとう。さっきから、たくさんありがとう。」
「うん。…じゃ、外いこう。」
「わ、わかった。…ねえ」
「ん?」
「きみの、なまえは?」
「あー…えっと、うーん…。」
「…? あ。えっと、ぼくは…たきちよ、っていうの。」
「たきちよ? へんななまえやな。」
「う、うるさいな。…きみのなまえは?」
「んー……、じゃあ、るり、ってのはどう?」
「…どう、っていわれても…。…まぁ、いいや。…きれいななまえだね」
「そうやろう。」
そう言うと、少女――瑠璃は、如何にも自慢げな顔をしました。
少年――滝千代は、だれかとあそぶのはいつぶりだろう、と嬉しそうな顔をしました。
「おそとでるの、ひさしぶりだなぁ。」
「そうなん?」
「うん。さいきんずっと風邪がなおらなくて、ずっとここにいたの。」
「…ふぅん。そりゃ、おもんなかったやろなぁ。」
「うん…。」
寂しそうに、少年は俯きます。
「それやったら、いっぱいあそぼう。な?」
「うん!」
そう言うと、幼い二人は外へ駈け出してゆきます。
あたたかな陽光は、きっと眩く感じられたことでしょう。
少年と少女は、それからも時折、そうして遊びました。
けれど、少年以外の誰かのいるときには、少女は決して姿を見せませんでした。
ある日、ひさしぶりに少女が現れ、少年に言います。
「…かんにんな。もう、ここにはこられへんわ。」
「え。」
突然のわかれに、少年は涙ぐみました。
「もう、会えないの、いやだ」
ぽつりと呟くと、あまりにもかなしいからか、あとからあとから涙がこぼれました。
「…あー…。えっと…。そうや! おまじない、してあげるから。げんきだしてや。」
少女はしばらくの間困ったようにしていましたが、唐突に、笑顔になって言いました。
「おまじない…?」
ひっく、ひっく、としゃくりあげながらも、少年は少女に目を向けました。
「うん。…ほら。」
少女はそう言うと、少年の頭をやさしく撫でました。
「うん? …これだけなの?」
「うん。…これで、あんたはげんきになれるから。」
「げんきに…? そうなの。ありがとう。」
「どういたしまして。…いままで、ありがとう。」
「こちらこそ。…またね。」
「ああ。またな。」
少女はそう言うと、どこかへと走り去ってゆきました。
少年は、その日の晩になって、ふしぎな物音や、気配や、誰かの姿を見聞きするようになっておりました。
あのこのおまじないのせいなのかなあ、とふしぎに思いましたが、眠りを重ねるにつれ、それも忘れてゆきました。
少年の病も、わずかではありましたが快くなっておりました。
やがて、男が少女との思い出を思い出す頃には、遠く霞がかった記憶のなかで、ただ少女の着ていた着物の色だけが、やたらと心に刻まれておりました。
遠い何処かにいる少女も、やがては思いを馳せるでしょう。
恐らく、身体の弱かったあの子のことだから、飢饉のせいで死んでしまっているに違いない。――そう、思いながらも。
遠くはあるけれど、いちばん近くにいたあの頃を、互いに思い返しては。
たいせつな思い出だからと、どちらも心の奥底に、そっと仕舞っていることでしょう。
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