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元旦から信じたくない出来事が。

年末が多忙を極めすぎた結果、noteの存在を忘れていました。
とりあえず、書きたいことを書き殴って気持ちを落ち着かせようと思います。


見知った街が違う街になっていた。


書いている人(ことみん、ことみ氏)は、富山県産、宮城と富山育ち、高卒後は金沢の学校に通い、その後宮城県で制服系公務員をしていた。
実は災害と何故か縁があるらしく、

  • 阪神・淡路大震災は、発災前日に神戸にいたものの、所用がなくなり自宅に帰宅途中だった。

  • 中越地震の時は自宅の2階リビング兼ねて毒母の部屋にいて、咄嗟に布団に潜り込んだことで怪我がなかったが、燭台が布団にクリティカルヒットしていた。(ちなみに毒母は敬虔なカトリックですが、教会とかは行かない。これはカトリックは保守的なところがあるので、フィリピン人コミュニティ内で信仰をすることが多いと日本人牧師に言われたことがある。)

  • 東日本大震災時は富山の高校に通っていたので、直接的な被害は無し。(ただ、友人が被災し、最終的に友人宅は再建を断念してしまった。)

  • 制服系公務員時代に一度だけ津波警報で走って高台まで退避したことがある。(短中距離は苦手なので、本来階級が低い人間が持つ荷物を先輩に持たせてしまった人。)

そして、2024年1月1日 午後4時10分
能登地方を中心に広い範囲に強い地震が襲った。

そのころ、私はというと…。
あとちょっと寝たら、近所の神社まで初詣に行こう。と、布団の中でモゾモゾとしていた。
すると、突然、スマホに入れている“特務機関NERV防災アプリ”のバイブレーション音が部屋に鳴り響いた
ここで、簡単にこの特務機関NERV防災アプリについて、お話したい。
簡単に言うと、気象や地震の速報アプリだが、特徴は作中をイメージしたことや、視覚的なユニバーサルデザインを加味した黒を中心とした色使いであること。
(開発者の方が東日本大震災の被災地出身であり、色覚異常とのことで障害者でも見やすいようにしたとのこと。)
感覚過敏の中で強い光が苦手な傾向にある私にとっては、うってつけの防災アプリだ。(白背景だと目が痛くなったり、頭痛を起こすことがしばしばある。)
だから、スマホを買い替えると、即ダウンロードをするアプリのひとつになっている。

特務機関NERV防災アプリの速報値を見て「震度7…?間違いでしょ…」と、思ったときに横揺れを感じた。
東京の区がつくエリアに住んでいるが、思っていたよりも揺れていると感じた。
自分の家があるところは、震度2。

そして、富山の実家のあるエリアは、震度5弱と速報で確認し呆然としていた。
発災直後に安否確認のために祖母方の親戚が連絡したが…、連絡がつかなかった。
というのも、私自身は精神面(虐待のトラウマ等)の関係で毒両親に直接連絡できないため、祖母方の親戚に事情を理解してもらい、こういったときには代わりに 安否確認をしてもらっているのだ。
このノートを見ていただけるとわかると思うが、祖母や父方の親族は毒両親の結婚時のドタバタが原因でほぼ絶縁している人が多い。
その一方で、私の出生経緯をわかっていることもあり、「ことみちゃんに罪はない」ということで、親族宅のお留守番+入所先施設からの呼び出しなどに応じるを条件に毒両親からの避難先を確保してもらっている。(こう見えて、実家では学生時代の約10年間、祖母を介護していた身であるのでそれなりに慣れている。)
しばらく経って、家電に伝言があることに気づいた帰省中の妹氏が折り返し電話をしたことで安否が取れた。
だが、余震が続いているということもあり、親戚の偉い人から「状況が落ち着くまで、ことみちゃんは自宅待機」の指示が出た。
恐らく牽制も兼ねているのだろう。
「ことみちゃんがひとりで慌てても、何もしようがないから落ち着いて」
と、言う意味の。

そして、本当は見なければいいとわかっているものの、つい見てしまうのだ。
TwitterやYouTubeでの被災地の動画を。
金沢が目と鼻の距離にある実家は、学校以外でも買い物などでよく行くエリアだったし、能登もよく遊びに行ったエリアだ。
だが、知っている街が知らない街になってしまった。
焼き焦げた輪島朝市。
孤立してしまった能登島。
進学先候補だった航空系高校がある能登空港。
(結局、諸般の事情で寮のある富山県内の高校に進学したが、毒両親、特に毒母への反抗期がひどかったこともあり自ら寮のある高校に進学を希望した。という経緯がある。)
割れた道にボロボロの家々…。
そのせいか、精神的なダメージが出てきたのか、正月からTwitterは低浮上になっている。
ポケモンGOもスタマイも正月イベの参加できる気力が途中で行方不明になってしまった。(リボンプリン欲しかったな…。)
正月休み明けの通院も身体を無理やり動かす形で行った。(初通院になった先の先生に「正月から大変だったねー。お母さん、絶対にノイローゼになってるよ」と、言われた。)
ただ、お腹だけはいつも通り自己主張が激しいからうどんなどの食事と水分摂取だけは常に確保していて、何とか暮らしている状態だ。
汚い話になってしまい申し訳ないが、私は通院必要レベルな慢性便秘症と逆流性食道炎。その他咳喘息等の持病もある。
昨日は逆流した胃酸が気道に入ってしまい、出先で噎せてしまい持病の咳喘息の発作のようになってしまった。
今日も所用を作ることで、身体を無理やり動かしている。
そうなると、ずっとYouTubeに齧りついてしまうだろうから。

実母に精神疾患疑惑が浮上してきた件について。

話を実家の毒両親に戻そう。
安否が取れた電話で、妹氏は「揺れが続く環境にパニックに陥っている実母を身体を壊した実父が抱きしめたり、なだめすかりしている」とのことだった。
そして、翌日に実家に電話をすると、妹氏は「実母は昨日の反動で血圧が上がりすぎたのと、心臓が辛いと言って寝込んでいる。実父も疲れたのか身体が辛いと言っている。私(妹氏)も色々と不安だけど、仕事もあるので4日には帰る予定だ」と話していた。(実際に昨日、4日に自宅のある北関東某所に戻ったとのこと。)
今思えば、実母はとにかく建物が揺れることを恐れていた。
小学校の時の話だ。
「家の中で縄跳び禁止、友人と遊ぶ時は極力静かに」
を実母に徹底させられていた。
子供ながらに不思議に思っていたが、今思えば、“揺れに対する異常な過敏さ”という、ある種の精神疾患なのかもしれないと感じた。 
私が発達障害が原因の強い光や大きな音が苦手なように。
(まぁ、本人は更年期障害を疑って、医師からホルモン剤を処方してもらったり、に命◯母を飲んでたいたりしてみたいだが…。ぶっちゃけると気性面は変わってなかったから、ただのヒステリーか強迫性障害などの精神疾患の2択だと感じている。)
多分、ここで初めて書くことかもしれないが、実母はフィリピンという災害が多い国の出身だ。
だから、フィリピンにいた頃になにかの理由で揺れに対してのトラウマを埋めつけられたのかもしれない。と、いうのが私の予想だ。(あくまでもだが。)
というのも、幼少期に何度か行ったフィリピンの実家は広くはないが、かなりきれいな家という印象を持ったことをよく覚えているからだ。
建て替えたか、新築なのかは覚えていないが、まだ時間も経ってないしっかりとしたコンクリート建ての家だった。
たしかにこれなら揺れには強いだろう。
だが、実家は祖母の介護のためにリフォームをしたとはいえ、その部分以外は築60年近くはあるはずだ。
だから、少しの振動でも揺れるのだろう。
それに敏感な実母には、激情的なリアクションにつながってしまうのかもしれない。と、今なら理解できる。

私に今何ができるか。

まずは南海トラフ対策だろう。
まずは生命を守らなければならない。
募金はその次だ。
避難先の親戚宅はアパートの1階部分で、築30年ほどの建物を3年くらいにリフォームしたものだ。
(ちょうど親族が介護施設入居と同じ頃にリフォーム工事を行い、完成直後に私が入居した形だ。)

去年、配布された区からの資料。

こういった感震ブレーカーなども検討しなければならないだろう。
幸い?にも、今手元には

  • 去年の12月に某ネット市場で間違って多く買ってしまった500mlの水が2箱分。(1箱だけ買う予定が、寝ぼけて4箱分頼んでいた。)

  • パックご飯1箱(3個入りパックが8個入っている。)がある。

  • 必要な薬は常に箱に入れて、すぐに持ち出せるようにしている。(これは10種類以上は飲んでるから、管理のしやすさ重視というのもあるが。)

  • すぐに取り出せるところに必要な書類をエリアを決めて置いてある。

その程度だろうか?
あとはガラス飛散対策に窓ガラスにフィルムを貼ることを検討している。(今貼っているものは断熱と結露対策重視。)

とりあえず、まずは頭を冷やしつつ落ち着いて行動したい。
心の傷も埋めなければならない。
大好きな街、石川。
いつか、私も、みんなも元気になったら絶対に観光しに行くぞ!

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