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オトナの忘れるとコドモの忘れる〜記憶と時間の関連性〜

私は、日々忘れる。よく忘れる。笑

だから、そんな自分にびっくりすることもあるし、

だから一瞬一瞬が煌めいて見えるし、時間の一粒すらも愛おしく思う瞬間がある。


その秘訣は、子どものように日々を記憶して、忘れているから。

日々が愛おしいのは忘れられるから

毎日、笑って、泣いて、鼻歌歌って歩いてたら、すっ転んで。

色んな色味の日々がある。

私の日々は、いつも子どものアソビのようで、何かが常に生まれ、消えていき、また生まれる。

忘れ人(ワスレビト)となれたのは、子どもたちとの、とある出来事がきっかけ。

勿論、忘れゆくことは切なくて、悲しい面もある。刹那的よね。

だけどきっと、子どもたちの見ている世界を知るヒントも詰まっている行為だと思うの。



子どもに不思議そうな対応をされた、あの日。

これは印象的だから忘れもしない。
まだ、保育士の卵として短大に行ってた頃、保育園実習での事。
子どもたちと沢山あそんで、楽しいままに1日が過ぎて、次の日に、また遊びたくて私から声をかけた。

『昨日、楽しかったね〜〜!!!』

何気ない一言。

それを言われた子の反応が、目が点になったような、訝しげに私を見る反応に一瞬なった。

『???』

...その後はニコニコして、さっきの私の一言がまるで無かったかのように遊んだ。笑

『私、何か変なこと言ったかな???』

同じような出来事が、何日か続いた。

何かをやらかしたのかなあと、不安に煽られたけども、いやいやそんなはずはない!と思ってた。

正体は時間。

その後、授業で知ってびっくりした。


時系列の理解ができるのは、脳の発達段階から見て、おおよそ4歳ぐらいからですよ。』

『だから、まだ3歳ぐらいの子に[この前]とか[昨日]とか[明日]とかは伝わらないことがあって...』

『子どもたちは、それだけ[今この瞬間]を生き抜いているんです。』


えええーーーーー!!!!!!

超衝撃的だった。

『時間って当たり前にあるもの』当時の私は本気でそう思っていたから、何気ない先生の一言が頭から離れなかった。

ということは...

時間という概念が、そもそも人間の創り出したモノなんだ!

子どもと大人とで、生き方がこんなにも違うのは、『時間に対する認識の差だ!

って気づいた。

そこから、私は、もっともっと子どものように生きたいと願った。

記憶と時間

ここでまず言いたいのがね、
『オトナの忘れる』と『コドモの忘れる』は、ちょっと違うの。

オトナの忘れるは、タスクベース。
コドモの忘れるは、体験ベース。


ここから大人と子どもの見える世界の違いが生まれているなあって個人的に思う。

〜大人の忘れるは、タスクベース〜
時間や自分の能力などに対して制限があると無意識に判断した上で、物事を記憶する。
→ タスクがいっぱいになると、忘れる。
→ 心の充実感は、あまり無いかも...。後悔。


〜子どもの忘れるは、体験ベース〜
自分の能力とか外の出来事は一旦無視。
目の前のことを五感を使って貪欲に味わう!
→ 一瞬の出来事の情報量がめちゃ多い。
→ 記憶として忘れやすい。けど体は覚える。
→ 心の充実感が多い!

大人の忘れると子どもの忘れるの違い...
ポイントとしては、
忘れた時の気持ちよさが違うの!笑



時間と共に記憶は薄れていく。

記憶できるメモリの量は人それぞれ決まっている。

そして、強く意識する部分を特に記憶する。

そうして覚えた記憶を体に馴染ませて、

また人は1つ忘れていく。

それもまた、アソビであり学びの一部。



時間を意識することは、人や社会と上手くやるためには大切な時もあるけれど、

時間を意識することで、味わえなかった体験が、どれだけあるのだろう。

時間を覚える前に、たくさんの毎日を体験して、忘れていくことが、アソビの醍醐味であり、生きる醍醐味なのかもしれないし、


もしかしたら人は、時間を理解した時に、
コドモからオトナになるのかもしれない。

頭は忘れても、体は覚えているから。

ある意味、忘れることは、とっても勇気のいる行為だとも思っていてね。

だってある意味、死を回避する為に、『何かあった時のために』記憶が存在すると思うの。

忘れた時に、想定していた『もしも』が起きたら、自然界では取り返しがつかない。

それを無かったことにするって、自分を信じてないと、中々できないことだと思う。

つまり、忘れる力=自己肯定感とも関わってるんだなって。

日々を一生懸命に生きている子どもたちは、映画の1コマを細分化したものが1つの出来事として見える。

情報のせめぎ合いが起きる日々。

だから、忘れるし、
だから、時間を知ることは後回しにする。

そう出来るのは、体が覚えてくれるだろうって信頼してるからなんだよね。

そういえば、忘れる人の方が、寛大だっていう統計も見たことがあるから

子どものように忘れるチカラって、助け合う優しい世界を創る中で、大切なのかもね!

というか忘れるから補えあえるし、人間なのかもね!

今日も今日とて、子どものように忘れながら遊ぶように生きたいなあ〜!!!


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