「生涯最高の失敗」(田中耕一)_読書感想文

ノーベル賞を受賞された田中耕一さんの「生涯最高の失敗」という本を読んだので、その感想文を書きました。

内容は、田中さん自身の生い立ちやノーベル賞を受賞した研究に至るまでの話を田中さん自身で語られているというもの。

失敗かと思っていた実験結果からノーベル賞に繋がる研究になるというのは、研究者なら誰でも羨ましいと思うような体験です。

ノーベル賞受賞者の人柄がどうとか、私生活がどうとかっていうゴシップ的な興味で書かれた世間一般用の本ではなくて、ご自身の考えや研究に対する姿勢が書かれている点が非常によかったです。

まず、気になった本文の引用です。

一言で「研究」といっても、基礎から応用に近いものまで、非常に多彩です。研究者ひとりひとりの興味や得意分野、所属する組織のあり方や周囲の環境などにより、どのような研究を手がけることになるかは変わってきます。このような「ちがい」はあくまで「ちがい」であって、「優劣」ではありません。基礎と応用、あるいは大学や研究所と企業、どちらの研究者のほうが偉いとか、どちらの研究のほうが大切だ、ということはないと思います。

大学に残ってアカデミアで研究を続けるか、企業に就職して研究職に就くか。この選択は、大学で研究に携わってきた人なら誰でも一度は考えることだと思います。

何となく基礎研究の方が研究っぽくて偉いように思ってしまう人も多いと思います。

ですが、ここで書かれているように、それらは「ちがい」であって「優劣」ではないと思います。実際に企業の研究者として働かれている人の言葉だと説得力があります。

少し前の日本では(今でも?)、基礎研究が一番偉いみたいな風潮があったそうですが、現在は逆というか、また違った観点の話が出てきています。それは、「役に立つ研究信仰」とでも言いますか、とにかく「その研究が何の役に立つんですか?」的な質問が非常に多い気がします。基礎研究もゆくゆくは応用研究により社会に還元されていくのかもしれませんが、最初から社会に役立つ観点でニッチな深い基礎研究ができるのか疑問に思います。科学、とりわけ基礎研究を志すきっかけというのは単純な興味や探究心、科学者へのなんとなくの憧れみたいなものからくると思っています。社会の経済状況とか教育構造の話にまでなると難しいですが、できれば興味から湧き出る研究が大切にされる世になってほしいです。


日本の科学者や技術者は、「自分のやっていることなんて大したことない」と思い込まされる訓練を、毎日受けているような気がしてなりません。自分のことを謙遜して言うことは、争いを避け、人の輪やチームを保つためには役立つと思いますが、そればかりではいけないのではないかと、最近、思うようになってきました。

これは本当にそうだなあと思いました。

研究の世界に限らずだとは思いますが、日本人は謙遜することが美徳という文化があるように思います。

また、美徳だから謙遜しているというよりも、何となく恥ずかしがって自分の成したことをしゃべりたがらない人が多い印象です。

この文章の後にも詳細に書かれていましたが、減点主義の考え方と失敗を恐れる風潮が、引っ込み思案を醸成しているように思います。

問題なのは、最初っから謙遜モードに入ってしまうことではないかと思っています。

自分の出した結果と、世界で出ている結果を正確に比較して、どういう部分が劣っているのか、ちゃんとわかった上で謙遜すればいいのですが、どうも最初から引っ込んでしまっている場合が多い気がします。

全部が全部優れている結果を出すことは大変難しいので謙虚になるのはわかりますが、もちろん優れた部分もあるからこそ結果として受け入れられているので、そこをもっと主張したらどうかということです。

私自身も研究の結果報告をするときは、もっと堂々と自信を持って発表しろと担当教員にたびたび言われていました。

また、どう考えても優秀ですごい先輩なのに、発表のときは「私は大したことしてません」的な口調になってしまう方もいて、損をされているなあと感じてしまうこともありました。

引っ込み思案が多いという話から著者は次のように〆ていました。

日本の科学技術について語られるとき、決まって「人材が枯渇している」という指摘がされます。しかし、ほんとうにそうなのでしょうか。日本の社会には、こつこつと努力している個人や技術を見いだし、隠れた才能を伸ばすシステムが、不足しているだけではないでしょうか。

個人からすればもっと堂々と成果を発表できるようになれればいいし、社会からすればもっと人材を見出すシステムが発展すればいいということだと思います。


最後に、モチベーションを高めてくれる本書の内容で終わります。

苦しいときこそ、独創性を発揮するには良い機会かもしれません。「これに賭けるしかない」という追い詰められた状況から、とんでもなくすごいものが出てくる可能性だってあります。この可能性が実現して、これから10年後、20年後に、「あのときが、日本が新しい時代に入る転換期だったんだな」と思うことができたら、どんなに良いでしょう。



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