見出し画像

神社の縁日

 この話は、おれが地元に帰るたびに友人のYから聞かされる話だ。以下はYが語っていると思ってほしい。
 ───その年の夏は、例年に比べると蒸し暑かったような気がするが、もしかしたらそれは、気の所為だったかもしれないし、本当に蒸し暑かったのかもしれない。
 夏休み最初の週末、私は祖父と一緒に近所の神社に向かっていた。日没がもうわずかという時間、毎年恒例の縁日へと向かう私の足取りは軽やかだった。家を出る前から、何を買ってもらうか考える。しかし、なぜかかき氷以外は思いつかないのは、小学校低学年の男子にとって当たり前のことかもしれない。今年はどんな味を選ぼうか、カラフルなかき氷が頭の中をぐるぐると回る。結局はいちごを選んでしまうのだが。
 普段は閑散としているが、神社が近づくにつれて、人の気配が濃くなっていく。家族と一緒に神社に向かう友達を見つけたが、話しかけることはない。しかし、お互いにその存在には気づいている。目だけで合図をし、「後でな」というテレパシーを送りあった。
 神社は小高い丘の上に建っており、境内に入るには50段ほどの石段を登る必要がある。いつもなら全くの静けさに包まれているのに、この日ばかりは喧騒が境内から漏れてきていた。それがまた私の気分を高揚させる。石段を一気に駆け上がりたい。しかし、そんな気分をぎりぎり抑えることができたのは、祖父が一緒だったからだ。私は祖父の機嫌を損ねないように、一生懸命、良い子を装った。しかし、そんなことをしなくても、祖父が私を怒るなんてことはない。それは自分でも分かっていたが、これから色々なものを買ってもらうのだと思うと、良い子でいることが私なりのお礼だったのかもしれない。
 石段を登り切ると、参道の両脇に屋台の群れが出来上がっていた。初めて見るベビーカステラという文字が、私を興奮させる。数十の屋台から漏れる明かりで、社殿がライトアップされていた。その上にはもう薄闇が漂い始めて、境内を囲むように生えた木々とコントラストを生み出していた。
 祖父と一緒にお参りをすませて、おみくじを引いた。私は大吉だったが、祖父が何だったのかは覚えていない。私の意識はもはや、ベビーカステラへと移っていた。すでに10個入りを買おうと決めていた私のもとに、おみくじを結び終わった祖父がやってきた。
「どの大きさにするんだ?」祖父が言った。
 私は、あれ、と10個入りを指差す。値段は500円ほどだったが、祖父が支払ったのは一万円札だった。沢山の千円札と小銭が返ってくる。そのお金のすべてが、まるで自分のもののような気がして嬉しかった。
 ベビーカステラを頬張りながら、今度はかき氷に狙いをつけた。店番をしている派手なお姉さんに「いちご」と注文する。ガリガリという音がしている間に、祖父がゆっくりと追いついてきた。私はあんなに夢中になっていたベビーカステラを呆気なく祖父に押し付けると、支払いが終わる前にかき氷にかぶりついた。振り返ると、クラスの同級生が家族と一緒に並んでいた。私は「おう」という意味をこめてニヤリと笑った。向こうも「おう」と笑う。どうやらそいつも、良い子を装っているようだったので、ニヤニヤとした視線をしばらく送ってやった。
 かき氷を食べながら、金魚すくい、スーパーボールすくいをやり、お好み焼きと焼きそばを買った。追加でフランクフルトを食べたころには、私の胃袋はパンパンに膨れていた。
 もう何も食べれない。そう思っているとき、ちょうど祖父が知り合いを見つけ、側にあったベンチに腰掛けた。タバコを吸い始めたのを見て「あ、これは長くなるな」と思った。例年のことなので、私もフラフラと境内を歩き出した。お好み焼きやたこ焼きが出来上がる工程をじっと見たりしていると、先に来ていた弟のSがいた。おう、と声をかけようとしたが、私に気づかずに参道から離れていく。あっちには何もないだろうに、目で追っていると、弟はやかましい発電機の中を抜け、その先にある一本の大木に向かっているようだった。よく見るとその根本近くに、ぼんやりと色褪せた灯りがともっている。黒いシルエットになった弟は、そこに溶け込むとどこにいるのか分からなくなった。あんなところに何があるのだろうか。行ってみようと思うのだが、その背後には真っ暗な闇が隣接していて、一歩が踏み出せない。祖父を呼んでこようかと考えていると弟の声がした。
「兄ちゃん、こっちこっち」
 小さな灯が逆光になって顔は見えないが、弟と思われる影がこちらに向かって手を振っている。それでやっと安心し、私はその屋台へと近づいた。
 ぼんやりとした灯の正体はロウソクの火だった。とても頼りなく、ふとしたはずみで闇に飲み込まれそうである。
 参道のほうとは違い、湿った土の匂いを感じる。小さい灯に、見たこともない蛾が引き寄せられていた。どこか別の空間に来てしまったような気がして、どうも落ち着かない。気味の悪い場所だ。どうしてこんな境内の隅の方に屋台を出しているのだろう。
「いらっしゃい」この声で、初めてそこに人がいると気がついた。
 古ぼけたパラソルの下に、屋台の主人らしき男がいる。ヨレヨレの白い半袖シャツを着て、腹巻きをしている。頼りない光でそこまでは分かるのだが、あとは暗くてよく分からない。顔もパラソルの中にすっぽりと収まっているのもあって見えなかった。細い体躯や腕に浮き出た血管から、そこそこの老人のように感じるのだが、主人の声はまるで子供のように高かった。ロウソクに照らされた影が、ユラユラと動いて気持ちが悪い。
 側には、2つの木箱に板を渡した台が3つほどあった。そこで膝をつき、数人の子供が何かをしている。よほど集中しているのか、誰一人喋っていない。それがまた、ここの静けさを助長して気味が悪かった。
「ここ無料なんだってさ」弟が言った。
 見ると他の子供達に混じって、台の横で膝をついている。近づいてみて、それがようやくカタヌキなのだと分かった。
「無料って本当かよ」いつも調子のいい弟の言葉を私は信じられなかった。
「本当だよ、だって俺金払ってないもん。ねえおじさん、そうなんでしょ?」
 私の背後に弟が話しかけた。それにつられて後ろを振り返ると「そうだよ、ぼくもやってごらん」老人からカタヌキの板と小さな針を渡された。
 以前やったときは、象の模様が描かれた板を渡されたのだが、鼻の部分が難しくそこで板を割ってしまった。くやしくてもう一度お金を払うと、今度は飛行機の模様だった。これも翼のところが細くなっていて、もう少しというところで失敗した。カタヌキは難しい、そんな印象があったのだが、今回はそんな心配は無用のように思えた。板に描かれた模様は、単純な丸だった。丸を形作る彫りもすでに深く刻まれており、これは絶対に成功するだろうと思ったと同時に、なるほど、これは町内会か何かがやっているカタヌキの屋台なのだと思った。だから無料であり、こんなにも簡単な模様なのだ。
 空いている台を見つけて膝を地面につく。その日の蒸し暑さとは逆で、土の表面はひんやりとしていた。しかし、下草なのか虫なのか、足元が妙にむず痒くなかなか集中できなかった。
 太ももに何かが触れる。その度に手で払うのだが、すぐにまた何かが触れてくる。おまけに手元もほとんど見えない。弱々しい灯りは、店主の手元を照らすのがやっとで、カタヌキをする台には一切届いていない。目が暗闇に慣れたとしても、細かい作業をするには無理があった。あまりにも低予算が過ぎる。いっそのこと指で割ってしまおうか、いや、そういう考えが失敗につながるかもしれない。灯りの届かないイライラとは別にして、カタヌキを成功させたいという思いもあった私は慎重になっていた。
 ふと他のみんなはどうやっているのだろうと思い、隣の子供を見て、私は固まった。全く知らない子だった。近所の神社であるし、同じ学校の誰かだろうと思っていただけにその衝撃はなおさらだった。急に気まずさを感じて、視線を前に移した。すると果たして、こちらも知らない子供だった。作業に没頭しているようで、うつむいた顔ははっきりと分からない。しかし、それでもこの子供が自分の知らない人間であることは雰囲気で感じ取ることができた。それはどことなく見える古臭さだった。着ている服も髪型も、どこか古い。みな黙々とカタヌキに向かっているが、裸足であったり、ランニングシャツを着ていたり。坊主頭の子もいれば、おかっぱ頭の子もいた。テレビで観た昔の映像、そんな感じがした。そしてそれは、他にいる子供たちも同じだった。
 急に疎外感を感じ、不安になった。もしかすると自分は知らない場所に来てしまったのではないか、そう思うのだが、参道の方を見ればこの神社が慣れ親しんだ場所なのだと再認識できる。祖父と一緒にいつもと同じ道を歩き、ここまでやってきた記憶もはっきりとある。ところが、周りの子供達を見ていると、どうしても知らない場所のような気がして落ち着かない。
 早く終わらせて祖父がいる場所に戻ろう。私は針を握り直し、ようやく最初のひと削りをした。しかし、端の方を削ったつもりが、どういう訳かカタヌキの板は真ん中から真っ二つに割れてしまった。
「あ、残念。また来年来てね」声の方を見ると、店主は体も顔も、こちらに向けることなくそう言った。やはり子供のような声だった。
 ありえない。脆すぎる。何か細工がされていたのかもしれない。私が再び視線を戻すと、カタヌキの板も針もどこにも見当たらなかった。そんなに早く回収しなくてもいいじゃないか。
 もうすっかり、やる気は無くなっていた。弟に声をかけて帰ろうとしたが、彼はもう信じられないほどに没頭している。しばらく弟のカタヌキを見ていたが、あまりの場の静けさが嫌で私は屋台を離れようと立ち上がった。前かがみになって、膝についた土を払う。手にチクチクとした草があたり、またムズ痒さを感じた。同時に、気持ちの悪い風が両脚の間を吹き抜けた。嫌な鳥肌が立つ。最後にもう一度弟を見るが、やはり没頭したままだった。私はいよいよ諦めて、祖父の元へと歩き出した。
 屋台の群れが眩しいほどに明るい。それを見ていると、妙な安心感と懐かしさを覚えた。まるで久しぶりに帰ってきたような気持ちだ。祖父を見つけると、走り出したくなった。
 束の間、どん、という音が鼓膜に響いた。毎年あがる、ささやかな打ち上げ花火だ。等間隔で小規模な花火が爆発し、どん、どんどん、という衝撃が真っ黒な空に溶けていく。その度に社殿や周りの木々が一瞬だけ照らされる。あちこちから、おー、とか、わー、とかの歓声が上がった。参道の人々が花火を見上げている。カタヌキの屋台を見ると、弟も花火を見上げていた。体勢はそのままで、首だけをひねって空を見ている。
 今の花火すごかったな、と声をかけようとして近づいたところで脚が止まった。自分の意志で止めたのではない。これはあきらかに、体からの拒否反応だった。
 花火が爆発する、その一瞬の閃光に照らされた弟の脚もとに、無数の黒い手があった。カタヌキ台の下にぎっしりと詰まったそれは、弟の脚に絡みつくようにしてグネグネと動いている。花火が爆発するたびにギュッと縮こまり、すぐにまた動き出す。見ると、他の子供達のところには何も無い。弟の周りだけが、黒い手で埋め尽くされていた。ところが、弟は全く気がついていない。
 ひときわ大きな花火が炸裂して、あたり一面が昼間のように明るくなった。瞬間、カタヌキ屋台の主人の後ろに長い影が伸びた。しかし、それは影ではなく、黒い巨大な手だった。
 私はすぐさま踵を返して祖父の元に走る。知り合いと話していた祖父を無理やり引っ張って境内から出た。石段を全速力で駆け下りる。祖父が何かを言っていたが、それどころではなかった。あの大きな手がいまにも追ってきそうな気がして、足を二三度踏み外しながら降りきった。背中にはべったりとした冷たい汗が張り付いており、自宅に付くまでの道中は生きた心地がしなかった。何度も背後を振り返り、祖父と離れない最低限の距離を保ちながら早歩きで帰った。
 その夜は、あの手が家まで来るのではないかという妄想にかられて中々眠ることができなかった。弟がいつ帰ってきたのかも分からない。

 それからしばらく弟のことが心配だったが、とくに変わったことは無かった。脚に変なアザがということも、身内に不幸がということも無い。弟はごく当たり前に夏休みを満喫していた。あのカタヌキ屋台のことも覚えていた。確かに薄暗い場所だったが、黒い手などは見えなかったそうだ。カタヌキはきれいに成功したという。
 もしかすると、あの夜見たものはすべて私の思い込みで、暗く不気味な雰囲気に飲まれてしまっていたのかもしれない。屋台は本当に町内会の低予算な屋台であり、黒い手に見えたものもただの下草だったのかもしれない。

 というような話を、おれはYから何度も聞いている。しかしおれの知る限り地元には縁日を開くような神社は無いし、このYの弟とされるSという人物に関してもおれは見たことも聞いたこともない。Yの祖父は戦争で亡くなっているはずである。
 気になるのは、数年前にこの話を聞いたときSという人物はYの親戚として登場していた。その時は、おれの祖母が亡くなった年なのではっきりと覚えている。さらにその前は隣町の友人と言っていたような気がするし、初めてこの話を聞いたとき、Sという登場人物はいなかったような気がする。冒頭でも言った通り、この話は何度もYから聞いている。話の筋は概ね同じなのだが、聞く度にSという人物だけが少しづつYに近づいているのだ。
 この得体の知れないSという人物はなぜYに近づいてくるのか、それともYが自分から近づけているのか。おれには分からない。 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?