#18 裏切りがデフォルト南北朝時代と足利義満の剛腕が光った室町幕府
このエピソードで学ぶこと
鎌倉幕府は倒れましたが、武士の時代から
貴族たちの時代へと時代が逆行することはありませんでした。
とはいえ、武士も一枚岩になっていなかったため、
日本は南北朝時代という混乱の時代を迎えます。
混乱と統一、室町幕府について学びましょう。
本編(0分53秒)
・建武の新政は短期間で崩壊はしたものの、後醍醐天皇の力が消滅したわけではない。
・後醍醐天皇の政治に不満があってもアンチ後醍醐天皇を取りまとめる勢力が出てこない。
・最初のアンチ後醍醐天皇として鎌倉幕府の北条一族の残党が出てくるが、失敗。
・ここで、足利尊氏が出てくる。彼は後醍醐天皇とは別の系統の天皇を立てていく。
・結果、天皇が二人いる南北朝時代になってしまう。
・この頃、分割相続から単独相続に変わっていくが、相続に不満のある人たちが、それぞれの天皇を支持して対立していく事態になってしまう。
・この状況を打破したのが、足利義満。彼は剛腕を発揮して南北朝を合一させた。
今回のおさらい(10分36秒)
Q1:鎌倉時代の相続はどうなっていたの?
→分割相続。そのため土地が細分化されて生産効率が落ちていってしまった。
Q2:南北朝時代の相続はどうなっていたの?
→分割相続をやめて、1人が相続することになった。
Q3:その一人はどうやって決めたの?
→明確なルールがなかったため、選ばれなかった子どもが不満をもって対立したんだ。
Q4:足利義満はどうやって権力を集中させたの?
→課税権力や軍事力を大きくさせ、武士だけでなく貴族・皇族の相続にも口を出していった
次回予告(11分20秒)
長引く混乱、戦乱からようやく一つの権力に集約されていきます。
強烈な個性を持った足利義満は、
武士だけでなく商工業者からも税金を取り立て、
外交権も掌握して、日明貿易にも勤しみました。
しかし、争いの根源である、相続ルールの確立がなされなかったため、
彼の死後に、再び相続問題が各地で勃発して、
多くの家で相続争いが起きていくことになります。
次回の止まらない対立と応仁の乱に繋がっていきます。
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