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#0121【戦国を生き抜いたもの(浅井長政)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。
今週は織田信長を裏切った戦国武将特集です。

最初は、信長の妹で絶世の美女と称される「お市の方」を妻とした浅井長政(あざいながまさ)を取り上げます。

浅井長政は滋賀県北部の大名家であり、琵琶湖の水運をベースに力をつけていきます。拠点としていた小谷城は難攻不落の山城として有名でした。

浅井家は長政の祖父の時代に、福井県にあった強国朝倉家の支援を背景に勢力を伸ばしていきました。

長政の父の代になると家中で内紛が起きてしまい、父は隠居し長政がトップに立つことになりました。

若いながらも戦争に強く、領民に対しても温情ある政治を行うなど、ひとかどの人物であると評判が高まっていきます。

滋賀県のお隣、岐阜に本拠を構えていた織田信長は、室町幕府の13代将軍足利義輝が暗殺されると、その弟にあたる足利義昭を岐阜に招き入れました。

信長は、義昭を将軍に据えようと京都への進出を図ります。

力で屈服させるよりも同盟を結ぶ方が良いと判断し、信長と長政はお市の方を通じて、義兄弟となり、織田家と浅井家は姻戚関係を持つ同盟国となりました。

信長は当時、岐阜と名古屋を押さえていましたが、名古屋の東は徳川家康と同盟を結び、自分の娘と家康の長男を婚姻させることで姻戚関係を持ち、岐阜の西は長政と姻戚関係を持つことになりました。

これで周囲を固めることができた信長は、京都へと大軍を進めることにし、滋賀県南部の六角氏が抵抗を示しますがこれを蹴散らして見事、足利義昭を将軍の座につけることに成功します。

当初、義昭と信長の関係は良好でしたが、やがて自分をロボット扱いしようとする信長に我慢ができなくなった義昭は、信長と不仲となります。

信長は徳川家康とともに、自分の意に沿わない朝倉氏を攻めようと福井県へと兵を進めます。浅井家に事前に通告しなかったことは浅井家と朝倉家との過去の関係からと考えられています。

それでも妹を嫁にやり、強固な同盟関係にあると思っていた信長は後ろ(すなわち、滋賀県北部)を全く気にせずに福井県の城を落としていきます。

あと数日あれば朝倉家を滅ぼすことができる。

絶頂の中にある織田・徳川連合軍に一つの知らせが届きました。「浅井長政、謀反(裏切り)」。

浅井家の軍勢と朝倉家の軍勢に挟み撃ちになる状況に陥ったため、信長は僅か十数人とともに戦場を離脱し京都へと逃げ戻ります。

長政が裏切った理由は諸説あり、朝倉家との恩義のためや将軍義昭に唆された、自分も天下を狙っていたなどです。

裏切った長政はその後、大坂の本願寺、比叡山延暦寺そして山梨県の武田信玄などと同盟を組んで信長に対抗します。

一時は信長自身が戦場で負傷をするなど、浅井長政側が優位にありましたが、最終的には個別攻撃を受けて1573年に滅んでしまいました。

29歳の若さでした。お市の方と長政との間との三姉妹は助けられ、三姉妹の長女茶々は豊臣家に、次女お初は京極家に、そして三女お江与は徳川家へと嫁いでいきました。

徳川幕府三代将軍徳川家光はお江与が産んだ息子です。

浅井家の血は女系を通して、戦国の世を渡り切ったのでした。

以上、本日の歴史小話でした!

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発行人:李東潤(りとんゆん)
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1983年生まれ。青山学院高等部卒、慶應SFCでは学部優秀論文賞受賞。2006年住友商事に入社し、海外駐在を含めた実務経験を得て2017年独立。歴史を軸にしたコンテンツ作成を通して様々な「分かりにくい」を解消中。ベンチャー企業のバックオフィス業務や経営者のコーチングにも従事。
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