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#24 商業の発展を背景に栄える文化と災害多発の田沼意次の時代

このエピソードで学ぶこと

徳川吉宗が大ナタを振るった改革も
コメを中心とした社会体制からの脱皮を図るには不十分でした。
根源的な改革を模索した田沼意次。
その政治が目指したものと、失敗の理由を学びましょう。

本編(0分47秒)

・徳川吉宗の時代はコメの収入を増やそうとした結果、一揆や打ちこわしが頻発した。
・倹約も限界がある。なぜなら幕府に仕えている人を削減することができないから。
・支出の削減はできても、行政改革ができないという状態だった。
・田沼意次は、農業だけでなく商業からの収入を増やしていこうとする。
・株仲間の積極公認、幕府専売事業の拡張、長崎貿易の拡大、印旛沼の干拓工事などを実施。
・吉宗時代から緩和された洋書の輸入から田沼時代には解体新書の翻訳ができた。
・平賀源内という異才の人物が活躍したのも、この田沼時代だった。
・しかし、多発する天災と後ろ盾の将軍家治の死去によって田沼意次は失脚してしまう。

今回のおさらい(11分11秒)

Q1:田沼意次はどんな政治を目指したの?
→農業だけでなく商業資本も積極的に活用して財政再建を目指した
Q2:田沼意次は商人からの税収をどうやって増やしたの?
→株仲間を積極公認して運上・冥加(うんじょう・みょうが)の収入を増やした。
Q3:田沼意次が幕府財政を潤すために行った施策は?
→印旛沼の干拓工事や幕府の専売事業の拡張、長崎貿易の拡大など
Q4:田沼意次はどうして失脚しちゃったのか?
→冷害や浅間山の噴火・大飢饉などの天災、後ろ盾だった将軍家治の死などが重なったから

次回予告(12分04秒)

それまで農業を中心とした税制体制にて幕府財政を立て直そうとする動きだった中、
田沼意次は、重商主義的な商業を積極的に奨励することで、幕府財政を立て直そうとします。
杉田玄白らの解体新書が世に出たり、平賀源内が活躍したりするなど、
開明的な雰囲気が世に漂う一方で、冷害や浅間山の噴火、大飢饉の発生など
天災によって世情は安定しませんでした。後ろ盾だった10代将軍家治が亡くなると、
田沼意次は失脚し、彼が試みた政策は全て水泡に帰します。
反動政治の主役は、徳川吉宗の孫にあたる松平定信。
田沼時代からどう歴史は反動してしまうのか。

次のエピソード⇒#25_松平定信による反動政治と、そこからの更なる反動が生んだ化政文化

前のエピソード⇒#23_暴れん坊将軍というよりも、米将軍徳川吉宗の改革


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