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待っていても,チャンスはやってこないのかもしれない.

よく,用意周到な準備をしたものにだけ,ふと何かしらの偶然が積み重なることでまさに千載一遇のチャンスを物にすることができると聞きます.
(特にスポーツの世界が,オリンピックや世界的なプレイヤー集団たちというのはレベル的には本質的な差はあまりなく,トッププレイヤーとの誤差の範囲だそうです)

昨今では,この瞬間瞬間にも僕が認知していないだけで,世界中の各地では様々なサービスが生み出されたり,あるいはさらに時代を前進させるような技術の誕生が目の前かもしれない.

そんなことを考えるのは無駄かどうか聞かれると正直言って,返答に僕は困ると思う.

それらは世界中でいつかは,起きるかもしれないささいな変化を気にしてどうするのか.

たしかに,僕のことではないし,たとえそれらがとある国で普及したとしても僕の国である日本にはやってこないのかもしれない.
けれども,いつその瞬間が訪れるのかは誰にもわからないというのは,きっとこれを読んでくれている方たちも周知のことであると思うし,日々トレンドが目まぐるしく変わる日常に慣れてしまい,逆に自分だけのオリジナルなアンテナの調子が悪くなっていることに気づかずに,鈍感になっているのかもしれない.

ただし,僕はただ夢想的で楽観主義のような物の見方をすればいいと言っているわけではなくて,目の前の現実と日々向き合っていく中で,自分にとって何が大事なのか,あるいはどんなものに価値を見いだせるのかといったとうな自己の価値判断であり,また自己基準を持っているのかどうかが重要だと僕は考えています.

自分の中で,確固たるようなコレだと言えるような物を既に見つけている人は現代ではおそらく強い人だろうと思う.
でも,まだ見つけていない人も特別に焦る必要はないとも思う(まだ見つけられていないというだけで,ただ動かないプー太郎さんのことを指しているわけではありませんよ).

僕もいまだに,グラグラとした氷塊の上を不安定ながらもバランスを取ってはいるつもりだけど,いつかはその氷が解けてしまえばそれまでとなってしまいます.だからこそ,それでも諦めて今足をつけて立っている氷塊だけでいいと思考を止めることなく,挑戦できそうな物事や,あるいは僕では到底想像できなかったであろう選択も時には,選択をする勇気を出して,日々それこそ無限とも見える可能性の氷群をひょいひょいっと身軽に動けるように意識して生きて行きたいなと思います.

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