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置かれた場所,あるいは環境について.

マンネリ化した日常をいかにして脱するのか.

人は,最初の頃は自身の置かれた環境が慣れない場所で生活をするから目に入る全てのものをできる限り観察することで,どれが危険でどれが安全なのかと言ったようなことを探りながらも,それなりに刺激のある生活を送ります.

しかし,僕たちの不思議なところはその環境にある程度置かれると慣れてしまうという習性があり,そしてどのような場所や環境で,ある程度時間さえかければ順応してしまい,初めの頃と比べるといくらか警戒心も新鮮さも薄れてしまい,それこそさらにその場所に居続けると,より刺激も失われ,今までは当たり前ではなかった価値観や物の見方が日常の一部として機能することが,いわゆるマンネリなのではないかと僕は思います.

僕らはよく,刺激のある生活が送りたい,あるいは新鮮な環境に身を置きたいとよく嘆くものですけど,僕個人的な感覚では,それは個人の捉え方の問題だと考えています.

難しく書きすぎたかもしれないけど,要は「自分で主体的に行動すること」と言いたいわけです.

「主体的に動くとは言われてもねえ」って思う方もいるかもしれません.
たしかに,誰もは最初は慣れない場所で生活をすることから始まるので,少なくとも慣れるまでは主体性を持っていることになります.

よくベテランの域にまでに行くと,どれもが退屈でつまらないけど手放すには惜しいものになりがちかと思います(僕はまだその域にまで到達していないのであくまで推測になるけれど).

でも,世界を見渡して見ると,一部の優れた人たちは,たとえベテランの域にどれだけ早く到達していようが,全くと言っていいほどボケっとしてる人はいません.

それは単に彼らが自分で自分を忙しくしているからではないかって言われそうだけど,本質は違うんじゃないかなあと思う.

人生も含めて,今生きている日常に対して,常に慣れないようなそわそわ感,つまりは落ち着かない多動的なことを意識して自分に言い聞かせると,普段当たり前で代わり映えのない生活が,一風違ったものに見えてくるのかもしれません.

自分で意識を変えるのは困難な作業ですし,それこそ環境そのものを思い切って変えることで新鮮な空気を味わうこともできますが,出来る人と出来ない人と二極化してしまうので,僕としては今置かれた環境や場所で培った物の考え方をまずはリセットして再構築してみたらどうだろうかって話でした.

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