見出し画像

立派な人になってほしい|2022.12.30-2023.01.01

[2022.12.30]友人と話す

久しぶりに気の置けない友人とLINEをして、外界とのつながりを得た感じがしてほっとした。よく育児中の先輩方が言っていたけれど、家で子供と二人きりでいると、社会から切り離されているような気がしてつらいということが、臨月で里帰り中の今すでになんとなく垣間見えた気がした。

家族とどんなに仲が良くても、友人との会話に代えることは決してできないだろうと思う。ゆっくりお茶を飲んだりすることはこれからしばらく難しくなるんだろうけれど、少し話すくらいでいいから、頼みますよ。いてくれてありがとう。

[2022.12.31]立派な人になってほしい

先日、鳥羽和久『君は君の人生の主役になれ』(〔ちくまプリマー新書〕 筑摩書房、2022年)を読んで、現代のティーンエイジャーに対してどう向き合ったらいいのか、もっともっと自分でも考えなくてはいけないな、親になってしまうのだし……、と、ちょっと途方に暮れていた。

この本の第3章「親からの逃走線を確保する」の中に「親は真綿で首を絞めるようにあなたの生きる力を奪う」と「理解のある親はあなたの抵抗力を奪う」という見出しがある。ぐっ、と苦しくなるほど危機感を覚える。「親は生真面目に渾身の力で子どもの主体性をつぶす存在です」(Kindle版P.92)とも。やってしまうかもしれない。

子どもに親の顔色をうかがわせ、親が思う「いい子」な行動をとらせて、それを美談のように語ってしまうかもしれない。子どもに「夢」を語らせ、それを一生懸命に応援することで、いつの間にか子どもの気持ちに反して無理強いをしてしまうかもしれない。子どもにわかったような顔で「あなたはこういう子」などと言ってその子の他の可能性をにぎりつぶそうとしてしまうかもしれない。ひぃ。どうしたらいいんだ。

そんなところへ、実家の本棚で吉野源三郎『君たちはどう生きるか』(〔岩波文庫〕岩波書店、1982年)が目に入ったので思わず読み始めた。

「お母さんも僕も、君に、立派な人になってもらいたいと、心底から願っている」(『君たちはどう生きるか』P.50)というのを読んで、背筋が伸びる気がした。

まず肝心なことは、いつでも自分が本当に感じたことや、真実心を動かされたことから出発して、その意味を考えてゆくことだと思う。君が何かしみじみと感じたり、心の底から思ったりしたことを、少しもゴマ化してはいけない。そうして、どういう場合に、どういう事について、どんな感じを受けたか、それをよく考えて見るのだ。そうすると、ある時、ある所で、君がある感動を受けたという、繰りかえすことのない、ただ一度の経験の中に、その時だけにとどまらない意味のあることがわかって来る。それが、本当の君の思想というものだ。(同書P.53-54)

なんでも相対化しがちで、よいものをよい、悪いものを悪いと簡単には言えなくなって、判断を差し控えることを一種の賢明さのように感じてしまっている私が、子どもに対していったいどんな風に接したらいいのか。自分の子に向かって恐れずに「立派な人になってほしい」と言えるか。

2冊の本を交互に読み返しながら、「きっと言ってやる」と思った。私がどんなに気を使っても子に与えるであろう数々の間違った経験も、思いやりも、常識も、十代にまで育った子ども自身にジャッジして乗り越えてもらうしかないのだ。物分かりのいいだけの親にはなるまい、それがたとえ間違っていたとしても。

新年を迎えるからか、威勢のいいことを言ってしまった。でも今はそれでいいや。また子どもが無事に成長したら、何年か後にまた思い出せるといいな。

[2023.01.01]あけましておめでとう

年が明けました。あけましておめでとう、と言える嬉しさを感じる。言えない年もたくさん、あるのだから。

年賀状を出さない代わりにほうぼうの友人にLINEを送ったりして、返信が来たり来なかったり、いろいろだった。それでもいい。波が合うときにはまた再会するし、合わなければもう会わないかもしれない。ときどきに波を起こしておくことは大事だと思う。

Facebookを何気なく開いたら、後輩が昨年結婚式を挙げたことを初めて知ったりした。おめでとう。

~~~

というわけで、あけましておめでとうございます。

今年もきっと大なり小なりの苦難はあるだろうけれど、周りの人にたくさん助けを求めたいし、それを恐れないくらいに私も誰かを助けたいと思う。

どうぞよろしくお願いします。



いただいたサポートはよりよく生きるために使います。お互いにがんばりましょう。