RAW現像を頑なにやりたくなかった理由-社会人編
この記事はRAW現像を頑なにやりたくなかった理由というシリーズの後編にあたります。前半は下記のリンクからどうぞ
前編を書いたのが4月中旬ってことで、少し間があいてしまいました。
社会人編は、勘違いの塊です。
1.RAWデータは撮影したその場で見れないと思っていた
2.RAWデータで撮影・現像するより現場で頑張った方がいいと思っていた
3.レタッチは技術であるという考えに納得できていない
ではそれぞれ説明していきましょう
RAWデータは撮影したその場で見れないと思っていた
この勘違いの根源は、RAWはフィルムみたいなものという説明の解釈を
誤っていたことにあります。
フィルムって、お店に持って行って現像しないと画像が見れないですよね。
(自家現像するかは置いといて)
その解釈を、RAWはフィルムみたいなものでやってしまったんです。
いやいや、明るさとかいろいろ調整が効くという意味ですやん(笑)
(でもこれってポジフィルムに対するネガフィルムの説明でもあるんですが)
と今では言えるのですが、最初に持ったRAWのイメージはそうでした。
つまりは、RAWで撮影したら現場では確認できないから、
フィルムと同じと解釈し、
とても不便だなぁと思っていたのです。
FUJIFILMのX-Pro3の醍醐味(に近いもの)を
勘違いにより相当早く体感していた訳です。
でもこれ、一度RAWデータの撮影を試せば済んだ話なんですよね。
先入観が強いタイプなので試さなかったが故の過ちです。
多分、世の中捜しても、RAWはフィルムみたいなものから、
RAWデータが現場で見れないという解釈をする人はいないでしょう
ということで貴重な経験をしたということにしましょう(?)
RAWデータで撮影するより現場でやり切った方がいいと思っていた
今でもそういうスタンスの方がいると思うのですが、
現場でほぼ完成した写真を撮る主義だったんですね。
これは大学時代に染み付いた考え方です。
自分の中の写真表現を分解すると、
今も昔も、下の3つが軸になっています。
1.長時間露光を使って、目で見れないものを表現している(ただし合成はNG)
2.目の前にあるその時だけの風景を切り取っている
3.撮影することに時間をかけている
1と2は相反するように見えるかもしれません。
1で伝えたいことは、カメラというガジェットを使って表現できる範囲で、目で見えないものという考え方です。
この軸があったために、
作り物と決めつけていたRAW現像には手を出しませんでした。
ここで一つの例を出しておきます。
例えば、夕日を撮影しようとした時、
自分の場合は色温度を高く設定して赤みを増した状態で撮影します。
時間があるときは沈むまで何度も撮影します。
これが、最初からRAW現像ありきだと、色温度を触らず、
編集で赤みを増したらいいやってなるんですよ。
(RAW現像を知っている自分ならそうする)
これって、すごくもったいない気がするんです。
時間のロスよりも、肉眼で綺麗な夕日みたいじゃないですか?
もしかしたら何か奇想天外な偶然が訪れて、
いい感じの写真が撮れるかもしれない。
編集でいい感じにできるって個人的にはすごく損している。
そんな感情を持ちます。
レタッチを含めてプロの技術?
レタッチも含めて技術という思考には未だに納得できていません。
これまで書いた通り、自分にとっての写真表現の軸は、
現場にあると考えているためです。
しかし、RAW現像=作り物という考え方自体が古い
というのも事実でしょう。
実際、Twitter上で写真を趣味としている人が
レタッチしていない写真を上げている事はほぼないです。
勘違いだけかなぁって思ってたら、思いっきりエゴの塊でしたね。
RAW現像を始めてみて思うのは、
昔ほど派手ではなくなってきたけれど、
でもその色って現場の色じゃないよね?
という事。この悩みのゴールはいったいどこにあるのか?
よくわかりません。
RAW現像は作り物である。
ただ、作品作りという観点では必要不可欠な作業である。
というのが、現状の結論というところでしょうか。
ちなみに、普段写真を撮るスタンスは、
勘で良いなと思ったものを撮影しまくるです。
よろしくお願いします。
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