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歩き地蔵のお江戸面白地蔵物語VOL.54 上を向いて歩こう

おはようございます。

今朝の板橋の朝の空

午前5時26分、ちょっと曇り気味

午前5時44分ちょっと雲間から太陽の光が届きました。

執筆入っている今の時間は7時41分。もろもろ、やってて書き出すのが普段よりゆっくり目です。

昨日は、noteでも紹介早起き仲間の女子友と早くから電話して「あーでもない、こうでもないよね」と近況を爆笑しながら、交換。彼女は私と今日、渋谷でランチしようと誘ってきてくれたのだけど、一端、超楽観的な私はいいよ~と答えたものの「ん?いや、これでコロナ感染したりしたら、お互いが一生悩むことになると思って、電話でもいいじゃん」って

で、爆笑電話した。

その後、昨日から電話すると約束していたガン友と言うか人生の先輩で、この方もめっちゃ前向き思考のガンの先輩と電話。

とにかく、彼女は一度、敗血症で死にかけているのだけど、生きていて、心配もあるんだろうけど、その心配も明るくしゃべってくれる。入院期間が長かったので、いろんな人に出逢うし、友達にもなるんだけれど、彼女との関係は別格でとにかく楽しいお方と電話で会話。

そのあと、マタキチさんからご紹介いただいた映画

「恋はデジャブ」を見て、面白くって退屈しないで見終える。

自分がずっと同じ環境に居たら、どうなるかな?とか、

今の緊急事態宣言で旅行も禁止・夕食も禁止、ま、いろいろと自粛項目があるというのも日々の変化が少ないという環境では似ているのかもな~~~とか思いつつも、主人公がそのデジャブの環境を存分に発揮して人助けをしだして、超恰好いい男性になるって話で、軽快ラブコメでハッピーエンドだっていうのがめちゃ良かった。

で、なんで、今の時間に書いているかというと、バボさんからご紹介いただいたアルプスの少女ハイジを見ていたからなのですが、

こちらもめちゃ、感動。

ハイジ第10話

  ↓

https://www.youtube.com/watch?v=ouhGJA9xXkU&feature=youtu.be

優しい人たちとの心の交流と自然の交流。

今まさにそう言うこと、大事なんだな~って自分を思った。

実は昨日秋田の友人から宅急便が届き

彼女は高校時代からの友人で、私は本当におかげ様で高校時代の女子友に優しく手を差し伸べていただいてて、感謝ばかりです。

昨日帰宅して、もろもろやってていた夕方頃に宅配便が届きました。
見たら秋田の友達からの荷物でした。彼女は手芸が得意で、前にもパッチワークの鞄作ってくれて、春の帽子欲しかったら、遠慮なく言ってね。って手紙が添えられてたので、バカ素直な私は、春色の帽子がほしいなー!などと、無遠慮でずぅずうしく超素直にお願いしたら、
昨日、帽子できたから、送ったからね!と、ラインがー。
わー、うれしいなー楽しみだなぁーと思っていたら、その日に届いた!そこもびっくり!
その箱の中にはもろもろたくさんの品々、彼女のお母さんの手作りマスクとか、ケーキとか、パンとか、オランダ煎餅とか、書いているだけで、涙出てきた、、、
手紙にも
歩き地蔵楽しみに見ているとか、あって、
泣けるぅー、
愛がたくさーん詰まってて、
泣けるぅー
ありがとう
ありがとう
ありがとう
最近
ちょっと
不安にかられてたのもあって
ダメじゃん
元気でゴーだろうって
自分に克つ入れてたんだけど
なんだか
ホロッて
ありがとう
やっち!
ありがとう!
秋田もコロナで大変なのに、
本当にありがとう
そして
恩返しできるように
治して
ちゃんとなるから
待っててね。
ありがとう
励みになる!
ありがとう!
今から
書きます。
今日ご紹介するお地蔵さんは
本当に
え!
みたいなお地蔵さんです!
平和を祈願したお地蔵さんです!
みんなで一緒に平和祈願!
平和祈願の思い込めて書かせていただきます!
ありがとうございます!

とFACEBOOKに朝一に感謝の気持ちを書いて・・・・

彼女からの手紙には「歩き地蔵も楽しみ毎回読んでます」と、、、、、、ジーン。嬉しいです。

実は、、、、歩き地蔵も、なんだか、緊急事態宣言下で取材も遠くに行けないし、つまらないな~とか思っていてお地蔵さんの絵を描く時にもなんとなく曇り空の心模様の私がいました。音楽アプリで「歩き地蔵のお江戸面白物語」って音楽タイトル作ろうかな?とか、お地蔵さん以外に浮気していました。苦笑

すると、FACEBOOKのお友達で、noteでは特にコメントも💛マークもクリックしていない村井さんから、FACEBOOKにコメントで

多芸多才ですね!ところでここ数日、お絵かき、地蔵様との対話とか、少ない気がしますが!まず絵と、絵のコメントや解説の文才が光りますから。感謝。

と、さりげなく、、、私のプレッシャーと言う列車から降りたい自分の心をしっかりと見抜かれてしまっていた。。。

 村尾健 さん、うわー!さすがに見破られてしまってます。私の、中だるみー!
ご指摘を真摯に受け止め明日は今日歩いて参拝してきたお地蔵さんをご紹介いたしますね。いつも、読んでいただき、ありがとうございます!

と、、、そして

noteのコメントをくださる、バボさん、マタキチさん、ゆうりさん、読んでくださる皆さんがいらっしゃること、再び、認識を新たにし、心からこの機会をいただけていることに感謝し、昨日はしっかり歩き、そして対話もして参りました。

ではここからはお地蔵さんと私の会話をお送りします。お楽しみください。

あ、その前にマップから、、、、

昨日は曇り空ではありましたが気温が高く、歩いていてじっとりと汗をかきました。気持ちよく歩きました。

歩いていて、グーグルマップでお地蔵さんと検索するとその付近のお地蔵さんが赤いマークで出てきます。(本当にグーグルってすごい)

それで平安地蔵と言う名が私の目に飛び込んできたので、そのお地蔵さん目掛けて、しっかりと歩きました。この時はム。けど、下心としては路地裏から猫しゃんが出てきてくれないなか?もあるかな・・・

さて、では、平安地蔵さんにご登場いただきましょう。

平安さ~~~~ん

「びゅ~~~ん」

「あ、地蔵堂からですか?」

「はい。しっかり、きちんと保管されておりまする~。緊急事態宣言中ですし、不要不急のお出かけしてません~~~」

「えへ。あ、私も三密しないで、一人で歩いてきました。途中おトイレにどうしても行きたくなってセブンイレブンに入るとコロナ対策で使えなくなってて、もう、どうしようかな?と悩むに悩み・・・・けど、なんとかなるだろうと歩くとローソンが出てきて、あ、どうかな?と思っておトイレに行ってみたらセーフ。ご自由にどうぞ、って。助かった~と思いました。それでアーモンドチョコとジャスミン茶買って、、、ここまで歩いてきましたよ」

「それはご苦労様です」

「あ、今日は参拝の機会をありがとうございます。お顔拝見してもいいでしょうか?」

「うふ、うふ、いいよ~。二体一緒に見れるかな?」

「えっとやってみます~~ね~~」

「はい。こんにちは」

「はい。平安さんこんにちは。お会いできて、とっても嬉しいです。平安さん笑ってくださって、ありがとうございます」

「はい。一時期、shibu、元気なかったからさ・・・今日復活しての面談に僕たちを選んでくれてありがとうね~~。僕らも嬉しい」

「はい。ね、、、、最近、ちゃんと読者の皆さんにお地蔵さんの所縁をご説明して行こうと思っているんです、平安さんは、あ、この看板のような経緯なんですね~~」

「そう、上が僕たちを作った時の看板だと思うのね。下が板橋区がより文化として地蔵尊たちを大事にしてくれて詳しい看板を立ててくれたの」

「もっと詳しいことは総務省のホームページにも掲載されているわ。

以下、総務省のホームページより

板橋の空襲
 板橋区の空襲被害は、未確認ながら昭和17(1942)年4月18日の米軍ドウリットル隊による日本初の空襲当日まで遡る。このとき、日本軍が撃った高射砲の破片で、赤塚の家屋が被害を受けたのだ。この空襲は決して大きなものではなかったが、それまで空襲というものを知らなかった国民に対して、大きな心理的影響を与えたとされている。
 本格的な空襲に板橋区がはじめて見舞われたのは、昭和19(1944)年12月3日のことである。爆撃機B29による白昼の空襲で、現在の小茂根一帯に爆弾・焼夷弾が投下された。被害の程度は皆無とされている。
 この年の暮れ12月27日には、志村蓮沼(現在の本蓮沼)で爆弾2発が炸裂、家屋2棟が全半壊して死者3名を出し、区内最初の犠牲者を記録した。
 翌20(1945)年には、1月27日以降8月10日の終戦直前まで、16回の空襲があった。特に4月13日夜、板橋町一帯を襲った空襲は甚大な被害をもたらし、232名の死者を出した。また、6月10日の朝、上板橋を中心にした空襲も激しく、269名の死者が出ている。
 一連の空襲で板橋区は、死者500名、被害建物12,000軒、罹災者60,000人余を数える大きな被害を被った。(記録により被害実数に変動がある。)

最後あたりに書いてある上板橋を中心とした空襲でここ近辺も大変な被害があったの。その鎮魂の意味でこのお地蔵さんは建てられたのよ」

「今はこんなに平和な住宅街なのに、大変だったんですね」

「そう。だって、上から爆弾が降ってくるんだもの。家屋に火が移り、周辺は火の海」

「辛いです」

「そう辛かった。逃げ遅れた人は死んだわ」

「怖いですね」

「そ、怖かった・・・・逃げ場がない、怖かった」

「はい」

「だから、ね。今のコロナも生物兵器じゃないかって噂も出ているけど、三密しないで、マスクして、手を洗って、うがいして、とにかく、ちゃんと食事して、適度に運動して、睡眠をよく取ると、防げるとしたら、爆弾が空から飛んでくる恐怖と比べたら、平気な兵器なのよ。昔の事を言うと今の若い子はそれは昔の話でしょ、って耳貸さないけど、今こそ、いろんな方の声を聴いて、けど、自分で判断するって大事で、人から言われた通りでいるのは洗脳だから、、、、むかしの第二次世界大戦の二の舞になるのだけは、、、、なしの強さも大事。自分で情報を得た中で何が今できるかを考える。心の声を聴く。今、そのステージに地球が突入しているのね」

「はい」

「だから、不安がりすぎず、退屈であれば、何がこの時間、スペースでできるか考えて行動すると面白いじゃない。今、自分の智慧力が試されてて、かつ、それが自信にもつながると思うの」

「はい」

「どんどんいい方向に向かっている。揚げ足取る暇はない」

「はい」

「そんな所かな?今日はね。あ、いっぱいしゃべってしまった」

「お母さん、おしゃべりだもんね。やっと話せて良かったね」←子どもの地蔵さん

今平和そうな東京の住宅地も大変だった時期を乗り越えてきているんだ。

そうやって人は悲しい思いを胸に秘めて生きていく。人って、切なく、愛おしい。

編集後記みたいな

道道で出逢った写真をアップしますね。

シトロエンをみました。好きな車です。

今回は猫しゃんに出逢えず、、、、変わりに看板。笑

猫さんの変わりに平和のシンボル「鳩しゃん」笑

帰り道は石神井川沿いを選ぶ。釣り堀があった。

こちらもコロナの影響でお休み。大丈夫になったら来てやってみたい。

めちゃくちゃ、ご近所に詳しくなってきました。

恋はデジャブの主人公も取り残された時間と場所でその町に詳しくなり、人と交流し、自分磨きをし、恋をゲットする。

現在の私は、人との交流のリアル交流はない。

しかし、noteやFACEBOOKやLINEやYouTubeやアマゾンプライムや諸々のSNSでの人との交流で、私は寂しくない。そこかれ得る友情は計り知れない。

その様々な縁に本当に心から感謝です。

ありがとうございます。

今日も少し休んでから、お地蔵さんにご挨拶。

歩いてご挨拶に行ってきます。

上を向いて、希望を捨てずに、歩こう。

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