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歩き地蔵のお江戸面白地蔵物語VOL.85 「生きる」で学ぶの巻

おはようございます。昨日は雨の一日。途中若干雨はやみましたが、家に引きこもって映画ばかり見ていました。

ふと、黒澤明監督の「羅生門」から始まり、次、「生きる」、その次は「天国と地獄」と3作も見てしまいました。

映像はどれもモノクロです。

しかし、どの作品も、光がちゃんと映像を引き立てていてます。

その中でも「生きる」は、今の私にもかぶります。主人公は、胃がん患者で、「胃潰瘍」と医者に言われながらも、自分の命が残り少ないことを知り、今までの人生を思い、最後は公園を作ることに命を捧げます。奥様に先に死なれ、シングルファザーで息子を大事に大事に育てますが、息子は結婚してからは妻主体になり、寂しさもあるのですが、とにかく、役所勤めを淡々として。しかし、余命いくばくもないと知ってから、自分の人生を振り返って、今しかできないこと、やはり仕事をまっとうにしようと、役所の役割の枠組みを超えて精を出す。そしてその公園で息を引き取って亡くなる話なのですが、、、、。

胃がんで主人公は苦しみます。

私はお菓子を食べながら、、、生きるを見ていて私の場合は卵巣ガンですが、医師からは、このままだと早くに全身にガンが広がる可能性はがあると言われているにもかかわらず、何たべても美味しいし、特に近頃は腸内環境がいいのか、お通じも健康的で、当時とは医療のガンに関する見解も技術も変わってきていると思う中、あ、私は今、ご飯を美味しくいただけることに、「ありがとうございます」なんだな~と。

ちなみに写真は腸内環境を抜群によくしてくれた夕飯の一つ。

ブロッコリーと卵をプライパンで少量の水で湯であえて、上に乗っかっているのはブロッコリーの茎とレタスの端っこと、キャベツの端っこと、パイナップルの端っこと、塩糀と、オメガ3のオイルと、酢を入れて、スプレッダーで細かくしたドレッシングです。

腸内環境最高に良くなります。つまり免疫力もアップ間違いなし。

そして、また、市役所の高橋課長、志村喬さん(好きな俳優さん)がやった仕事の公園設立は私にとってはこの「歩き地蔵のお江戸面白地蔵物語」の執筆なんだろうな~と。

やれるだけ、とことん向き合いたいと再認識したのでした。

そして気がついたら、80歳を越えていた!のイメージです!
どうぞ、引き続き、よろしくお願いいたしますー!!笑

さて、

では、今日のお地蔵さんをご紹介しますね。

本日ご紹介しますのは、台東区薬王寺の「背面地蔵尊さん」。漢字で背面を書きますが、読み方は「うしろむき」と読みます。

黒澤映画の影響でモノクロにてご紹介。笑

昔の昔この地蔵尊は上野から奥州へ向かう旧街道の傍らに在した。その後道筋が改り、後背の箕輪町通りが新しく拓け、旧道に面していた地蔵尊が新道からはうしろ向きに見えるので、恰も此の尊称が起こったのである。
記録には、
「ここに又不思議なるは御遷座の夜、主僧の夢に神人現わる。告げて曰く汝如何なれば我が面を東に向わしめたるや、そもこの寺の西辺は古陸奥への駅道なり、我はその道に臨み西に向い立ちたるなり、とありければ主僧驚きて遂に石工を招き寄せ事の仔細を語り聞かせしに、石工も夢に同じ告を蒙りたりとて、その夜のうちに御像を動かし面を西に向わし奉りぬ。
さればその後参詣せし人々はその有様を見て、さても不思議なるかな昨日は東に向ひたまいしに今日は西に向はせられたりとて、その事たちまち四方に伝わり、背面地蔵の御名遠近に聞え渡りぬ」頃明和元年(1764)
こうして薬王寺の背面地蔵尊は本尊薬師如来の冶眼信仰と共に毎月の縁日で賑い栄えたのであった。
道路仏でもあり、延命子育てとしての地蔵信仰は今でも多くの人々に語り継がれている。猫の足跡さんより引用

では、ここから、しばし絵にてご登場いただき私との会話をお楽しみください。

「薬王寺の背面地蔵さん、おはようございます」

「はい。おはようございます」

「一昨日はありがとうございました」

「いやいや、バスから降りて、こっちに向かってくださってありがとうね~」

「いやいや、バスの案内でお名前が挙がっていらっしゃるのを聞くと、向かわずにいられなくなります」

「そうなんですね。お好きなね。お地蔵さんが」

「う、そうですね。昨日は天気が良くなかったので、ずっと自宅でアマゾンプライムで映画見てたんです。けど、普通の配信の映画って、色や音がうるさい割に心描写なくてつまんくって、無料ではないのですが、黒澤明監督の映画3本ぶっ続けで見て、すごい勉強になりました」

「何が?」

「演出って何なんだ?ってこと」

「うん、聞きたい」

「昔の映画はテクノロジーは進んでないじゃないですか?映像の加工だってフィルムの切り貼りで、コマを組み立てていったでしょ。それでね、黒澤監督だからは、もっと他のモノクロ作品も見てみないとわかんないんですが、俳優の目力を一瞬でとらえてて、光の当て方もすごい。瞳からにじみ出る涙とか、ずごい。臨場感があるって思ってて、演出ってテクノロジーの発達ともしかしたら、半比例しているんじゃないかな?って。映像の中での心の演出。そしてお地蔵さんを作ると言う心に似ている。今の映画って色や音はたくさん散りばめられているけど、うるさすぎて、通じていないって」

「お地蔵さんに似ているって、どんな意味?」

「えっとですね、お地蔵さんは立っていてくださるだけじゃないですか?けど、そのお地蔵さんの心って、参拝する方の心次第じゃないですか?」

「そうね~」

「映画もそうだと思うんです。監督や役者がつくる世界を見て、見る人の想像力がいかに掻き立てられるか・・・」

「うん」

「でも、今の世の中は説明文の嵐。作品に自己主張が満載で、見てて、疲れる。見ているんだけど、残っていない。スルーしている私がいるんです」

「わかる気はする」

「けど、今の若い人は、汲み取るとかではなく、なんで言ってくれないの?になる」

「ほほほ」

「なんで、作者もこれでもか~これでもか~って感じ」

「そうね~」

「で、きっと私も若い頃はそうだったのかな?とかも思うんですがね」

「ま、とにかく、いい映画見れたから良かったじゃない」

「ですね。お地蔵さん。ですです。このうるさい世の中も進化なんでしょう」

「いや、それが進化ではなく、昔の情報も簡単に手に入るようになったのは進化でしょ。黒澤監督の映画だって、ネット配信で見れるんだもの。昔だったら、映画館で何百万円かで作品をしいれて、何日間放映して、何人きて、黒字とかの世界だったし、その期間に行けないと見れなかった。けど、今は自宅でご飯見ながらでも見れる。すごいね」

「はい。私は若い人にこそ、こういう作品を見てほしいって思っているんです」

「そうね。そういう人もいるし、十把一絡ではなくなってきているのよね。人の好み」

「はい。人生を今日はもろもろ考えちゃって」

「いいのよ、shibu。あなたは、お地蔵さんを描いて書いて、生きている間、そうやり続けるんでしょ?」

「はい。生きるの主人公のようにやり続けます」

「それでいいのよ。私もちゃんと応援している」

「ありがとうございます」

今日は文化が時代とともに変遷することをお地蔵さんと語ってしまいました。

いい時間でした。

ちなみにマップは前回とほぼ一緒です。

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

明日は、テレポートお地蔵さん、ご紹介します。親子でお地蔵さん巡りをされている物語です。

お楽しみに~。

では、今日も良い一日をお過ごしくださいませ~。

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