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覚醒illegal #4

「霊能力のレベルを低下させたくなければ、肉体の純潔を維持せよ」
これは、呆国随一の霊能者である虚子が、四人の弟子に繰り返し伝えてきた教えだ。
肉体の純潔とは即ち、力を死霊や妖魔でないものには向けず、己の手を殺生の血で染めないこと、そして、異性あるいは同性との交わりを避け、貞操を捨てないこと、である。
教えを破り、肉体の純潔を失った霊能者は、力を衰弱させ廃人と化すか、穢れに魅入られ魔人と化すか。二つに一つ。どちらにせよ、正常な人間に戻ることは不可能だ。
「虚子さんの教えを忘れたわけじゃないだろ、アンタたち。見損なったぞ」
四番目の弟子、言い換えれば末弟である了承の聞き捨てならない発言に、三人の兄弟子たちは、普段ならば胸倉を掴んで兄弟喧嘩へとナダレ込むわけだが、誰一人ぴくりとも動じなかった。状況があまりに違い過ぎたのだ。それは了承も頭では理解していた。けれども、赦すわけにはいかなかったのだ。了承は虚子を愛していた。虚子の教えを、言葉を、後生大事に抱え、生きる糧としてきたのだ。それらのひとつを目の前で蔑ろにした三人の愚かな兄弟子を赦すわけにはいかなかった。
しかし同様に兄弟子たちも連中を赦せなかった。今ではすでに足元に転がる肉塊と成り果てた十数体の野郎どもを赦せなかった。謂れのない襲撃を受け、拘束され、散々に痛めつけられ、挙句、師である虚子を拉致された。業を煮やし、連中の心臓に殺意の刃を突き立てるには充分過ぎる仕打ちだ。
「だとしても、虚子さんを助けるだけでよかったんだ。殺しは避けられた筈だ」
兄弟子たちは末弟の喚きに耳を傾けることなく、金属製の階段を踏み鳴らし上へ上へと進んでいく。
登り切ったすぐ目の前に立ち塞がる錆びついた鉄製の扉にもたれて、黒子が四人を差し招く。
「微弱だけど霊気を感じる。虚子さんだ」
そう言って我先に扉の把手に手を掛け、了承は、力任せに扉を開けた。部屋に何人の気配があるかも確かめず、かつそれが黒子の罠かも知れないというのに、虚子が生きてそこに居る、という事実に縋ろうと、一心不乱に身を投じた。結果死に至る、とはいかなかったが。
虚子はすでに縄を解き、自由の身を得ていた。己の視界を遮っていた黒い布切れを握り締め、宙を漂う一匹のクラゲに合わせて、視線を泳がせていた。
「見て。きれいでしょ。あたしのだよ」
虚子は無垢に笑って、クラゲを指差す。青白い光を纏うスケルトン状のそれは、心許無くはあるが、薄暗い部屋を照らす唯一の灯だった。
「あなたの、じゃないでしょう」半分呆れ口調で云った一番弟子の頷〈ウナヅキ〉は、虚子の陰に隠れて横たわる、今事件の元締めらしき男を一瞥した。「そいつの幽体を抜き取ったんですね。流石です。あなたが手を汚していないのなら良かった」
「うん」虚子はクラゲの形を成すそれの尾か触手かわからぬ部分を摘み取り、今度は風船のようにそれを弄んだ。「もうそろそろきみたちが来てくれる頃合いだと思って」
「仮死状態とはいえ、危険な行為です。それでも純潔を失いかねない」
怒りをなかなか鎮められずにいる了承は、遂にはその矛先を虚子にまで向けてしまう。虚子は静かに微笑み、了承の怒りに理解を示した。
「了承くんは、誰も殺していないんだね」
「僕は虚子さんの教えに遵守しましたよ」
「そう」虚子は了承をそっと抱き締めた。「強いね、きみは強い」同時に、男の懐から奪っていた匕首〈あいくち〉で、了承の腹部をずぷりと刺した。「あなたは優れた霊能者だよ」
「虚子さん」なぜですか。苦痛に締め上げられた喉元から言葉は出せなかった。了承は虚しく崩れ落ちた。
「ごめんね了承くん。今、あなたの血液が必要なの。致死量に及ぶ、あなたの、清らかなる血が」
溢れ出る腸を抑えてうずくまる了承を睨め回しながら、その震える身体を撫でるように、虚子は糖度を含む甘い声を了承に掛けた。
「虚子さん。階下にいたもろはの連中は全員殺しました」
次の段階へ踏み込まんと現状の報せを告げたのは、二番弟子の解〈カイ〉だ。
「外傷は無し?」
「ひとつも。頸髄の切断でカタをつけました」
「うん。上出来だね」
虚子は風船を椅子の脚に括り付けてから、配管が巡らされた天井に両手をかざし、背筋を伸ばし、ラヂヲ体操に準じて身体をほぐし始めた。三人の弟子は肩を並べて、虚子から下される命を、息を殺して待ち伏せる。
「よし」清々しく自身の頬を叩いて、虚子は弟子たちに云い放つ。「すべての屍体を此処へ。儀式を始めるぞ」
返事は無かった。即座に行動に移るのみだった。普段ならば職業上死体の扱いには手慣れている黒子でも、この時ばかりは彼らの領域に倣って下手に動こうとはせず、階下へ降る三人の足音に耳を傾けて、見届けるともなく見届けていた。
「黒子」
虚子が呼んだ。いつもの調子で名を呼んだ。それが寧ろ、黒子の産毛を逆立てた。
虚子は微笑んでいた。正確を期するなら、了承に向けてから一片も絶やさずにおいた微笑で黒子をじっと見つめていた。
緩やかな曲線を描くように細めた眼の中に一切の白さは無く、黒々とした濁りだけがこちらを覗いていた。
「いつまでも調子の良い傍観者でいられると思うなよ」
虚子が眼を見開く。穿たれたその両穴を覆う深淵の奥底から、湿気を伴い響いてくる獣の唸り声が、黒子の蝸牛を這いずり回る。
「おまえにも苦しんでもらうぞ」
黒子は跪き、こうべを垂れた。そうする他無かった。

もうどれぐらい歩いただろうか。
例の奇形児を出産して一時間と経たぬ身体を引き摺らせ、刺身は、攫われた我が子を探している。下半身を湿らす血や羊水も乾かぬうちに、脂汗の滲む額を壁に擦り付けながら、延々と続くように感じる廊下を蹌踉と歩く。
「返して…あたしの…子供…返してよぉ」
刺身はその酷く重たい体で産婦人科病棟を渡り切り、隣接する脳神経外科病棟に差し掛かっていたところだった。だがそれは最早刺身の知ったことでは無い。刺身はただ只管に産んだばかりの我が子を当てもなく探して彷徨うだけの亡霊に成り果てていた。実際自分自身、生きているのか死んでいるのかすら曖昧で、外界との境目も、身体の輪郭も、前後も左右も天地もわからなくなってしまいそうなくらいに、刺身はどうしようもなく朦朧としていた。このまま我が子の元に辿り着くことなく、肉は擦り減り、骨は削られ、最後には体液と共に溶けて消え失せ、この病院の染みとなるだけなのではないだろうかとさえ思った。いっそ染みとなってこの病院に強い穢れを残してやろうかとも考えた。
恐ろしい衝動に意志が傾きかけた刺身を我に返したのは、数メートル先にある曲がり角から現れたひとつの影だ。それは、皮膚が変色し、頸と四肢の関節に縫目があり、それぞれアラヌ方へと捻じ曲げられていた。まるで悪戯心に満ちた幼児にパーツを滅茶苦茶に入れ替えられた人形のように歪な姿をしているそれは、救世公紀〈クゼ キミノリ〉が操る屍兵の一体だ。
刺身がそれを目にしたのは初めてだった。咄嗟に今出せる最大限の危機回避機能を全身に働かせ、ちょうど身体をへばりつかせていたスライド式ドアを慎重に滑らせて、殆ど倒れ込む様にして部屋の中へ隠れ、片脚を伸ばし爪先に神経を集中させ、慎重にドアを閉めた。
暫く息を凝らし、千切れんばかりにピンと張った感覚の糸を閉ざしたドアの向こうの廊下にまで巡らせた。足音は聴こえない。止まっているのか、何処かへ消えたのか。
瞬間、刺身の感覚の糸に何かが触れ、振動した。廊下ではない。今まさに身を潜めている、この部屋の中で、だ。刺身は気附いた。視界の端に影がある。
戸の開かれた大きなガラス窓から入ってくる微かな風が、カーテンを揺らしている。庭から運ばれてきた桜の花びらが床に舞い落ちる。油彩で描けば名画に成り得るその風景に、一滴の闇が落とされていた。
振り向くな。見てはならない。刺身は誰ともなしに、ひとり小刻みにかぶりを振った。しかし、影が持つ引力はおそろしく強い。刺身の首が、徐々に、徐々に、後ろの方へ、ぎぎぎぎと捻られていく。これ以上曲がれば首がへし折れる位置へ顎先が到達すると、引力は途切れ、潤んだ刺身の血眼に、影の実態が映り込んだ。色素の薄い髪の毛を肩まで伸ばし、キャップ帽を深く被った齢十つ程の少年が窓の傍に立ってこちらをじっと見ている。少年の顔には眼が一つしかなく、ともすればこれは隻眼を意味するものではなく、言葉の通り、少年の顔を飾る部位がたった一つの眼であるということだ。それも、その眼は本来眼があって然るべき場所に収まっておらず、中心を中心としてこめかみから顎下部分にかけて楕円を描いて面積の九分九厘を奪い、小さい顔に鎮座ましましていた。眼そのものに少年の身体が生え揃っていると言い表してもおそらく不適切でない。
闇夜やら異界やらに君臨する大妖怪を思わせるぎろりとしたその単眼を、刺身が明瞭に認識した直後、刺身の視界はチャンネルを瞬時に切り替え、少年の単眼を通して見える光景を映した。少年の妖術か否か、理解の追いつかない怪現象に刺身は発狂しかけたが、客観的に捉えられた自身の弱り切った姿に、却って冷静になれた。
なにをへたり込んでいるんだ、お前は。狂っている場合ではない。なんとしてでもこのわけのわからぬふざけた魔境を脱し、この手で我が子を抱きしめにいかなくては。立て。立って動け、あたしの身体!
強く念じたことが功を成したのか、刺身の視界が揺らぎ出す。景色を置いて、前進していく。動いた!しかし向かう先は部屋の外では無く、部屋の中央に設置されたベッドだ。ベッドにはひとりの少女が眠っている。全身を包帯で巻かれ、幾本もの管に絡みつかれ、器具や機械に囲まれて、深い眠りに就いている。わたしは知らない誰かの子どもに用があるわけじゃ無い。けどそうか、わたしは馬鹿だ。今この身体はわたしのものじゃない。
少年の手が眠る少女の身体に触れる。刺身に感触は伝わらない。ただのビジョンだ。立体的なフィルムでも観ている気分だ。しかしふと、少女に触れている少年の手を介して、刺身の脳裏にいつかの記憶が蘇る。
まだ恋人の銀次が生きていた頃、そして銀次が無惨な死を遂げたあの夜、銀次と最後の性行為に及んでいた最中、青ざめた顔で現れたひとりの中年女。その背中に抱かれている、重傷を負い瀕死に陥ったひとりの少女。中年女が息も切れ切れに云う。「御願いです、どうかあたしたちを、闇病院まで運んでやってくれませんでしょうか。娘を、助けたいんです」そうだ、思い出した。この子はあの時の。そうか、生きていたのか。でも何故ここに。送った先は確かに頼まれた通り闇病院だった筈。
刺身の疑念が晴れるのを待たず回想は遮断され、再び少年の視界に切り替わり、フィルムはコマを進めてゆく。少女に触れる少年の手の甲に一筋の血管が浮き上がる。指先が少女の皮膚に食い込み皺を寄せる。モニターが映す波形と数値に変化が生じる。刺身の眼に映る刺身の容態に異変が生じる。劇しく痙攣を起こし、泡を拭き白目を剥いて、床に伏す。サイレンに似た絶叫を上げ、モニターが鳴らすアラーム音を切り裂く。痙攣も絶叫も自身が発しているものであるのに、少年の身体の中に幽閉された刺身にとって今やそれらは対岸の火事に他ならない。感覚は全てそこにある肉体に収まったままだ。
頻々と注がれる怪現象に刺身は混乱し、眩暈に襲われ視界が霞み、やがてビジョンはプツンッと消え失せ、悶える刺身の身体もピタと止み、息絶えた。
少年は少女から手を離し、思春期サナガラに、帽子を正し、平静を装い、眠る少女の覚醒そして淡く望んでいた再会に身構える。
しかし幾ら待っても少女の意識は戻らない。おかしいな。少年は首を傾げた。おかしいな、栄養たくさんあげたのに。まだ足りないのかな。
ずず…と物音がした。少年が振り返る。刺身の屍が身じろぎをしている。少年は蠢く屍を見据え、愛らしいまばたきを数回繰り返す。六回目のまばたきを終えると、屍の肩甲骨が隆起し、膨れ上がった筋肉と皮膚を突き破り、二対の翅へと成り変わった。聴けば痒みを伴う不快な羽音を鳴らして羽撃いて、浮上してゆく。屍が翅を生やして飛んでいる、というよりも、屍に寄生した翅が屍を吊り上げてゆく。次に屍は捩じ切れんばかりに頸をぐるりと回して己の視界の天地をひっくり返す。逆さまになった血色悪い死に顔が、少女の寝顔を嫌らしく見下ろし、涎を垂らす。
「ようやく此処まで辿り着けたぞぉ」
死に顔の顎がドロドロに溶けて、全てを喰いちぎる大顎に造り変えられ、眼はばっくりと切り開かれ、その断面に幾つもの眼玉が連なり、全てを見透す複眼を帯びた。
「鐘田桜。愛おしい。俺は諦めない。必ずこの三島禍逗夫が、オマエをこの手に」
蟲を扱う霊能者、三島禍逗夫。憎き恋敵の出現に少年は固唾を飲み、眦〈マナジリ〉を決す。異形の怪物にたじろぐことは愚か、まばたきをすることは二度と無いだろう。戦え、少年!眠れる少女を、守り抜け。

「ねえ、劇場型殺人鬼02って、覚えてる?」
時計の針は七時を指そうとしていた。
王逆府王逆市五丁目に所在する公営団地の一棟に暮らす夫婦らしき男女が、部屋が三つに台所が一つという間取りの一室で夕飯後の休息を過ごしていた。
部屋着用の紺のワンピースに身を包んだ女が、木製の椅子に腰掛け、テーブルに肘をつけて頬杖でテレビを観ている。その向かいのソファで、女の淹れたコーヒーを啜りながら端末を弄る男がだらしなくふんぞり返っている。二人は子供を持たなかった。
「ねえ、劇場型殺人鬼02って覚えてる?」
「うるさいな、なんだよ」
「訊いてるのよ」
男は小さく舌を鳴らして、脈絡無い質問に仕方なく答える。「忘れるわけないだろ。戒厳令なんか敷かれてよ、おれたちだって酷い目に遭ったじゃないか。今更思い出したくもねえよ。どうしたんだ突然」
「あれってね、多重人格者による単独犯だとか、呆国中に紛れてる複数犯の仕業だとか騒がれてたけどね、ちがうのよ。あれはね、ウイルスよ」
男が女の顔を窺う。普段はこんなことを口走る人間じゃない。変な宗教にでも入ったんじゃねえだろうな。女はこちらを見向きもしない。テレビから目を離そうともしない。それどころか眉ひとつ指先ひとつ動かそうともしない。女の真意は読めない。ひとまず適当にやり過ごそうと、男は、ウイルスか、とだけ返した。女が続ける。
「ウイルス。殺意のウイルス。遠い遠い宇宙から我が星へ飛来してきたネオ生命体。八つ裂きのメリーゴーランドで飴細工造りの接吻を交わしたニトログリセリンと腎臓徒花が隠し秘めたるバジリスクチアーモンドケーキの底辺を方程式にて求められるは乳飲み子たちの輸血シャボン」
女が滔々と諳〈ソラ〉んじるのは禁忌の呪詛か異界の言語か。男は自分の精神を蝕まれる危機を察知し、女の言葉を堰き止めた。
「おまえ、なんなんだよ、ふざけてんのか」
「あんた浮気してるでしょ」
男はガラ空きの脇腹に恨みのナイフを入れられた気分に陥る。肋骨の痺れに顔を歪ませる。「なんのことだよ」
女がせせら笑う。「しらばっくれるのかよ、気持ち悪ぃな」ようやくテレビから意識を外し、まっすぐ男の顔を見た。「死ねよ」
男は言葉に詰まる。俺は気でも触れちまったのか。熱に浮かされて悪夢でも見ているのか。
「ああ、そうだ」女は意気揚々と椅子から立ち上がり、ブラウン管のテレビの前へとリズムを刻んで躍り出た。「そうしましょう、そうしましょう」満足げに独りごちながら、テレビに手を掛け、女は、電源コードを引きちぎる勢いでその黒い機械物を持ち上げた。細身の容姿からは想像し得ない怪力に恐れをなして、呑気に茶の間を沸かしていた娯楽番組は、プツンッと真っ暗闇へ逃げおおせた。
「あたしが殺してあげるよ!」
女は跳び上がり、ブラウン管テレビを男の脳天に振り下ろした。頭蓋は砕かれ、血が噴き出し、脳漿を撒き散らし、床に突っ伏しても尚、男の頭部や顔面に何度も何度もテレビを振り下ろした。テレビから弾け飛ぶ火花で修羅場が煌めく。殺意に突き動かされるまま生命剥奪の限りを尽くさんと鉄槌を下すこの瞬間、女は何処の誰よりも美しく見えた。
「殺す、殺す」「ころそう」「やろう」「やっちまおう」「やらねば、我々がやらねば」「ひさびさの目覚めだ」「殺すんだ」「ねえ、いこう」「ああ、いこう」「誰かがぼくを」「おれを」「あたしを」「呼んでいる」
団地に建ち並ぶ幾つかの棟に灯されていたすべての明かりが次々と消えていく。
侘しい夜空に点在する星々は、古来より約束された幻魔大祭に相応しい戦争と厄災が渦巻く地獄絵図の影を孕んだ最上たる銀幕を前に焦らされ、飢えと渇きを叫ぶ代わりに、爛々と、鋭い光を、地上へ降らす。


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