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読書ノート 「氷」 アンナ・カヴァン


サンリオ文庫『氷』

 大学生の頃、B・オールディスがイントロダクション(序文)で、「唯一無二の作品」と言い、また彼のSF史の大著「十億年の宴」では、メアリー・シェリー「フランケンシュタイン」でその歴史を始め、このアンナ・カヴァンの「氷」で締めくくっているなどの惹句(広告)に引き寄せられて購入した。購入し、読んでからこれはとんでもない話だと思った。普通のSFではない。サンリオ文庫の裏表紙の解説のように、「これは形而上学の寒風の中へと船出した破滅小説」「全体主義の寓話」「世界終末のビジョン」「ヘロイン中毒者の蠱惑的なメタファー」として、読むことができる。

 B・オールディスは英国のSF作家で、J・G・バラードとともにニュー・ウエーブSFの中心人物とされ、「ワイドスクリーンバロック」などといった概念を発明したりした。著作は「地球の長い午後」が有名で、私はサンリオで出た「世界Aの報告書」が最初に読んだ本であったが、これがまあ面白くもなんともない。でも不思議な世界観の物語であった。そのなかでは何の事件も起こらない。違う世界の住人が他の世界を監視しあうだけで、その理由も明示されず、結論もなく物語は終わるのであった。これを、高校のワンダーフォーゲル部の部室であった理科実験室で、床に寝っ転がりながら読んでいた(友人はは井上ひさしの「吉里吉里人」を読んでいた)。

 ストーリーは、「氷」、氷河が世界を覆い尽くそうとする終末世界に、「私」「少女」が逃げたり追いかけたりする。そこに「長官」がちょっかいをかけるという話。最後は「私」と「少女」が和解し、二人で拳銃を懐に携えながらブリザードの中、大型車を走らせていく場面で物語は終わる。幸せな結末はない。固有名詞が出てこない、抽象的なトーンが最後まで貫かれ、これは、どの世界の話か?どこでもない世界?といった感覚が最後まで継続する。絶望的な世界の中、救いは自死のみという、まあ救いのないお話であるが、この設定に魅了されるひとはいるであろうし、まごうことなき私は魂を奪われた。

 サンリオSF文庫が事業停止し、絶版状態だったが、2015年にちくま文庫から再販された。著作権の問題でオールディスのイントロダクションがクリストファー・プリースト(「逆転世界」!)に変更されたが、このイントロダクションも大変よろしい。「氷」をスリップストリーム文学の最重要作品として評価している。スリップストリーム文学とは、①1980年代の終わりにアメリカで提唱された、パルプ雑誌のSFの枠に収まりきらないもの、②フィクションのあらゆるジャンルを超えたところにあるもの(「魔術的リアリズム」も同様と捉えられる)、③科学を無意識の領域に、メタファー、エモーション、シンボルの領域に移行させる、とされ、ガルシア・マルケスやP・K・ディック、バラード、バロウズ、ボルヘス、果ては村上春樹までをその範疇に入れている。

 作者のアンナ・カヴァンがヘロイン中毒であったこともおおきな要素であろう。「氷」の後に「ジュリアとバズーカ」を読んだが、これまた凄いもので、「バズーカ砲」と表現される注射器、ヘロインの効果がカヴァンの時空間を崩壊させ、全く拠り所のない世界を出現させている。時系列が逆転、再逆転する文脈を、まあ自分の死んだ後を含めて描く筆力は常人のものではない。
 この、救いのない絶望的な世界の中で生きる女性を描く物語、アンチ・ヒロイズムとでも表現する物語世界に私は強く惹かれている。自分の中のマゾヒスティックなアニマの欲望かもしれない。

サンリオ文庫『ジュリアとバズーカ』

オールディスは言う、
 「『氷』に登場する名前を持たない女主人公と同様に、カヴァンは幼い少女であり、魔女であり、犠牲者であり、同時にその全てであった」    
 作者本人が魅力的な存在であるのは間違いがない。その後著作の絶版状態が長く続いたが、ここにきて「アサイラム・ピース」の再販や、新訳著書が立て続けに出版されており、その根強い人気を示している。本人の思いから離れ、人間の孤独や絶望、閉塞感などの現代的な課題の表現として、カヴァンの著作を支持する人々は今後も増え続けるだろう。
 


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