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読書ノート 「日本文法 口語編・文語編」 時枝誠記 

            

『言語過程観は、日本の古い国語研究の中に培われた言語本質観であって、それはヨーロッパに発達した言語構成観に対立する全く異なった言語に対する思想である。・・・ここでは極めて簡単にその概要を述べることにする。


一 言語は思想の表現であり、また理解である。思想の表現過程および理解過程そのものが言語であると考えるのである。

二 思想の表現がすべて言語であるとはいうことはできない。思想の表現は、絵画、音楽、舞踏などによっても行われるが、言語は、音声(発音行為)あるいは文字(記載行為)によって行われる表現行為である。同時に、音声(聴取行為)あるいは文字(読書行為)によって行われる理解行為である。

三 言語は、したがって人間行為のひとつに属する。言語を行為する主体を言語主体と名付けるならば、言語は、言語行為の主体、実践としてのみ成立する。そして、それは常に時間の上に展開する。時間的事実であるということは、言語の根本的性格である。絵画や彫刻も行為としてまた実践として成立するが、それは平面あるいは空間の上に展開する事実である。

四 言語が人間的行為であり、思想伝達の形式であるということは、表現の主体(話し手)、理解の主体(聞き手)を予想することであり、話し手、聞き手は、言語成立の不可欠の条件である

五 構成的言語観で、言語の構成要素のひとつと考えられている思想は、言語過程観においては、表現される内容として、言語の成立にはこれもまた不可欠の条件ではあるが、言語そのものに属するものではない。

六 構成的言語観で、言語の構成要素と考えられている音声および文字は、言語過程観においては、表現のひとつの段階と考えられる。

七 言語は、常に言語主体の目的意識に基づく実践的行為であり、したがって、表現を調整する技術を伴うものである。

八 言語を実践する言語主体の立場を主体的立場と言い、言語を観察し研究する立場を観察的立場と言い、この両者の立場を混同することが許されないと同時に、この両者の立場の関係を明らかにしておくことは重要である。

九 言語の観察者が、他の言語主体によって生産された言語を観察する場合でも、これを観察者自身の主体的活動に移行して、内省観察する以外に、言語研究の方法は考えられない他人の言語をそのままに観察するということは出来ないことである。奈良時代の言語を観察するということは、奈良時代の言語主体の言語行為を、観察者の主体的活動として再現することによって観察が可能とされるのである。これを別の言葉で言うならば、『観察的立場は、常に主体的立場を前提とすることによってのみ可能とされる』ということになる。

一〇 言語研究者の観察の対象になるのは、常に特定個人の個々の言語である。その中から特殊的現象と普遍的現象とを選り分け、原理的なもの、法則的なものを帰納するのは、言語研究者の任務である。このような普遍化的認識と同時に、特定個人の言語の特殊相を明らかにする個別化的認識も言語研究者の重要な任務である。このふたつの方向は、相寄り相助けて完全な言語研究の体系を構成する。』

『江戸期の国学者の優秀さ』『言語の働きを、ひたすら「心の声」(鈴木朖)とし、その他には格別な実体を、対象として決して据えなかったところにあった。少なくとも、時枝にとっては、そうである。国学者たちは、この「声」が「詞」と「辞」の結びつきによって響くことを、一致して唱えた。「詞」は、それ自身に対応するものの意味を必ず産むが、「辞」は「詞」に繋がって言葉を心に生きさせる働きそのものだ。言葉のすべてを「心の声」と成すものは、「辞」である。そうした働きの絶え間ない運動の外に、言語の体系だの、構造だのという実体は、ありはしない。この考え、あるいは直感は、時枝自身の「言語本質観」を生涯にわたって決定づけた」(前田英樹)

『語の構造がどのようなものであるかを、結論的に言うならば、語は思想内容の一回過程によって成立する言語表現であると言うことができる』

『国語においては、主語は述語に対立するものではなくて、述語の中から抽出されたものである。

 国語の特性として、主語の省略ということが言われるが、右の構造から判断すれば、主語は述語の中に含まれたものとして表現されていると考える方が適切である」

「主語の「抽出」は、語る際の必要に応じて為され、不要なら述語だけで文は完全に成り立つ。これは、単なる分析から来る一学説ではない。ここに表れているのは、運動する言葉の内側から為される溌剌とした洞察であり、《文法を書く》という仕事の深い一個の創造である」(前田英樹)

 言語的表現は、思想内容・表現題材が時間的に音声・文字を媒介として表現が展開するのであるから、文章に美があるということは、そのような流動展開に美があることに他ならない。

 文章の美は、読む経験に即して捉えられなければならない。

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