よみがえる教室
こんにちは。片山順一です。
この記事は、『あの教室から出られない』の続きになります。
人によっては、恐怖を覚えるような内容かも知れないことをお断りしておきます。
眠っていた子供
記事で書いように、私は私の歪みの原因について、ここ数か月で気が付きました。
ただ、ショットガンを手にすることはないと自分の中で結論付けていたのです。
けれど、先日のことですね。あるチェーンの喫茶店で、ほかの席の人の会話を聞いて自分に恐怖しました。
疲労した先生たち
夕方の七時ごろだったでしょうか。二人は今三十六歳の私と、大体同年代くらいの女性と男性でした。
入って来るなり、男性の方が次々と話し始めます。
私は偶然二人の会話を聞いたのです。
会話の内容から大体気付いたのですが、彼は小学校の教師の様です。
そして、どうも口の立つ問題児が居て、その子を邪険にしているようでした。
こうして書いていても、心臓がドキドキとして気分が悪くなるのですが、彼は彼なりのその子に対する“対処”を自慢げに語っていましたね。
子供らしい反論の論理の欠陥を突いて論破して、追い込んだこと。
手を出したとまで行かない程度の、体罰っぽいなにかをして、生意気な態度を矯正してやったこと。
そして、自分がクラス中から慕われて、昼休みなどに生徒たちから遊びに誘われ、試験の採点があるから忙しくて付き合えないという嬉しい悲鳴。
あとは、コロナ禍において無茶を押し付けてくる上級組織、たぶん、休校やカリキュラムをめぐる現場の苦労でしょうか。
目を覚ました子供
私は彼の話に聞き耳を立てるにつれ、自分の中にあの教室で苦しんだ自分が蘇ってくるのを感じました。
教師の判断や、クラスのまとめ方の邪魔になるがゆえに、たしなめられ、追い込まれ苦しめられて、利用される子供の姿。
あの記事でいう、私と彼が苦しんで泣いている姿が蘇ってきたのです。
その日は確か日曜日。次の日の平日、その子は喫茶店に居た先生が担任する教室に、行かなければならないでしょう。クラスメイトの大半に慕われる先生のサンドバッグにされ、問題にならない程度に精神を傷つけられながらひたすら耐える学校生活を送らなければならないでしょう。
その子の中に歪みが生まれ、それと付き合う苦しみを、人生を賭けて味合わなければならないでしょう。
今、この、私の目の前に。
その元凶を作るバケモノがいるのです。
あのとき、私が彼も私も救えなかったのは、私に力がなかったからです。
頭が悪く、体が小さくて、私たちを迫害してクラスをまとめる怪物を、完全に倒せる言葉も力もなかったからです。
今は、あるじゃないですか。
36歳の健康な大人の男になら、不意を突けば目の前のゴミクズを二度と教壇に立たせないほど、うちのめす力くらい、あるじゃないですか。
想像が走りました。私の中のあの子達が叫びます。
助けて、苦しい。
そうだ、助けなきゃ。もう俺はあの時と違うんだから。
凶暴な想像
想像力が暴走します。
どうやって血みどろに打ちのめしてやろうか、と。
まず武器だ。割ったコップがいい。破片を目玉にぶっさしてやろう。顔面は神経が集中していて、苦痛を倍加させるから。失明もおまけにつけてやれるかも。破片が残ればなおいい。小さなガラス片というのは、広島の原爆しかり、体の中に残ると取り出せず苦痛を一生与える。
自分の『悪さ』も思い知らせてやろう。今お前が話していたことが、最悪なのだ。お前が自分をいい先生だと思って定年まで続けていく、そのお前の中のクズを痛めつけて集団をまとめるという教育方法が、最悪なのだ。
今、顔面をズタズタにされた苦痛を思いだせ。二度とやるな。俺はつかまっても、死刑になってでも、お前だけは絶対に許さない。どんな手段を使ってでもお前を探りだして、お前がお前のゴミみたいな教育方法を振り回さないかどうか、一生、確かめ続けてやる。
もしやってみろ、俺なんかどうなってでも、お前の大切なものを全て奪い尽くして絶対に殺してやるぞ。
そうして、俺はお前の生徒を、あのときの俺を、教室で苦しめられていたあの子を、救うんだ。お前さえいなくなれば、少なくともその子が救われる可能性は生まれるからな!
こんな想像が、稲妻みたいに私の頭の中を駆け巡っていくのです。
自分が怖くなりました。
怖くて怖くて仕方なくて、吐きそうになって、慌てて会計をして店を出ました。
そいつをどんな目に遭わせることも、構わない。
私がどうなることも、構わない。
だけど、お世話になったお店の方に迷惑をかけるのは許されない。
私の憎悪のふるまいで迷惑を被る、私の両親や弟や妹も可哀そうだ。
できない。やってはいけないんだ。
私は店を出ました。
あとを引く憎悪
こんな私が、世の分断を痛ましく思うのです。
自分と他人の違いからくる憎悪と、それが切り裂く人と人の間柄を悲しく思います。
本当は、たくさん協力できることがあって、もっと幸福にだってなれるはずなのに。そうできずに血を流し合う人間同士を。
私は、昔法学部に通い、法科大学院で勉強していました。
弁護士になりたかったんです。無実の人を守る、人権を守りたかったんです。
人は、一人一人苦しまずに自由に幸せに生きていい。どんな性別のどんな年齢のどんな人種のどんな所得のどんな病気や障害を持つ人だって。それが人権なんです。
そのために戦いたかった。
それに失敗しました。
そして、私の抱いた憎悪。人権を守りたかった、小説を書きたかったやつが全てを失って抱いているこの憎悪。
私は残骸なんです。ぼろぼろの醜い残骸。自分の個人的な思い出だけで、人を傷つけてしまいそうになるクズ野郎。
こういう自分のクズっぷりを自覚したくないから、私は私の感情を封印し、快楽と歪んだ性し好に逃げ、歪み続けて狂い続けて自分を追い詰めていきました。
今、それから解放されて、向き合った自分の心の恐ろしいこと。悲しいこと。
だって、私が怪物と呼んだ先生だって、人なんですよ。人権を持った人なんですよ。
それを、俺はどうしようとしたんだ!? たかが一時の感情で。
終わらない戦い
今、私には、状況がそれほど悪くなかったのかなと思います。
コロナ禍の中、学校教育の現場を襲った歪みは想像が及ばないほどの凄まじいものだったのでしょう。
そうなる前でさえも、教師の過労とそこから来る教育の質の低下、あるいは教師自身の命や心の危険はとりざたされていました。
そこに襲ったのが、二千二十年いきなりの一斉休校。さらにねじれたカリキュラムの調整、高圧的なオンライン授業の実行命令。
ただ、やれと。できるかどうかなどなく、圧力と命令が上から叩きつけて来たのでしょう。公務員という安定した地位には、組織の重さという代償があります。そこに居た人にしか分からないような、筆舌に尽くしがたいものがあるのです。
その苦しさは察するにあまりあります。あるいは、たかが子供が教室で苦しかった程度のことなど、足元にも及ばないほどの負担だったのかも知れない。
今思い出すと、その先生たちは二人とも、ぼろぼろに疲れていました。そもそも最初、私が聞き耳を立て始めたことだって、お店に入って来た二人が、他の人と比べても明らかに疲れ果てていたからです。
こんなに苦しい目に遭っている人は何を話すんだろう、という疑問が、彼らに注目した原因だったのです。
彼らの権利だってある。そもそも刑法は、身体と心の安全を保護法益としていて、保護される人に制限なんてないんです。
私は、間違っていたんです。いくら私の中のあの子達が叫ぼうとも。
続く教室
だけど、私には生々しく思い出せます。あの、自分の中に燃え上がるような感情を。恐ろしいほどに私を蝕むものを。
でも私が許せないと感じる他者には、人権があるのです。また、その人にだって、その人を大事に思う人が居るのです。
だから私は、この心と付き合っていかなければなりません。
あの教室で傷つき、苦しみ続ける私の人生は続いていくということです
それを埋め合わせる手段はありません。
それでも、その生を、生き抜くほかないのです。
だから私は、この出来事と醜い感情を、申し訳ないけど電話で友人にぶちまけました。彼は聞いてくれました。それで、私は救われたように感じました。
私にできるのは、願うことだけです。あの教室を作る先生が、少しでも問題児を気にかけることを。
あるいは、彼が私のように、なんとか生き抜いてくれることを。
このnoteも吐き出しなんでしょうか。それとも、何かが生まれるのか。
こんな独り言をここまで読んでいただいた方に感謝します。
また、作品の感想とかについて話したいものです。でも、この体験と感情もまた、私にとって大切なものだったんだと思います。
彼らみんなが、救われるようになればいいのですがね。