見出し画像

いろいろ教えていただいてます

まだまだですが、日々の気づきに喜び今日も素敵な朝を迎えさせていただきました

少し時間(あらゆるものの生老病死)を経ますと、例えば少しだけ着て置き忘れてる服などに気づいて、手に取ってみると、何かたくさんのものの存在をそこに感じて、かゆいというか肌触りがよくないと感じてしまったりします

目には見えないけれど、確かにそこには何かがいる活動してるわけです

そこでは彼ら?の世界があるわけで

そこでわたしは思うのです

ぼくらはみんな生きている...と

そしてさらに思うのです

どうしても彼らの存在を忘れてしまいあらゆるものからの学びにも疎かになってしまいがちな私という存在

あるんですけど

ないんですね

位置だけあってほぼ何もないと感じられる素粒子みたいな存在

それがわたしでありわたしたちなのだと思います


自由でありがたいです

自由素粒子


これっておそらく肉体が滅んでもあるんでしょうね

なくても仕方がないと思いますが...

どっちやねんと思われた方

どっちでもいいのだとは思われませんか

あなたの選択次第でどちらにもなるのだと思います

おそらくですが


ではでは🌿




この記事が参加している募集

子どもに教えられたこと

「記事の価値に対する対価」として評価していただけるのであれば、歓んで素直に受け取らせていただきます。また、個人的な応援のお気持ちからならば、そのお気持ちに深く感謝します。有り難うございます。