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自己紹介②

今日も見てくれた方ありがとうございます( ´ ▽ ` )ノ
雪華です。

今日はというか…昨日の夜から気分の落ちが半端じゃなくて「あ〜消えたい」「死にたい」理由もないのに泣けてくるというループに陥ってます…。周期というか普通に過ごせる時もあれば今みたいに気分がどん底に落ちてイライラや「消えたい」「死にたい」と思う時がでてくるんですが…とりあえず前回の続きを……。

私が入学した中学校は部活動の変更は3回までって決まっていたんです。皆さんの所はどうでしたか?

もう2回も変更して後がなかった私は文化部に入りたいと伝えようと思って母に伝えた事があります。

私「あ…あのさ、私運動部じゃなくて…ぶ」
母「◯◯なら大丈夫よ。私は昔器械体操やってて運動神経も良かったしお父さんも野球やっていたから運動の楽しさ分かるから。応援してるから頑張りなさい。」

結局何も聞いては貰えませんでした。変更出来る最後の部活はバドミントン部へ入部し何ヶ月か頑張ったんですがやっぱり文化部へ入りたかった私は部活をサボるようになりました。でもそれがまずかった( ̄▽ ̄;)

バドミントン部の顧問が私の担任で親にまで連絡が行ったんで即バレ…( ̄▽ ̄;)もう色々と限界だった私は半ブチ切れで「私が好きで運動部に入部したと思ってる?そっちが勝手に運動部以外許さなかったからでしょ?」と日頃の鬱憤じゃないけど怒鳴り散らしたら言われた事は「じゃー好きにしなさい」でした。心の中で「じゃーってなんだよ…。」でした苦笑 

担任との話でずっと親に運動部を強制されていたんで私は運動部以外を選ぶことが出来なかったことを伝えて特別に4回の部活変更をしました。念願だった文化部へ。 

簡単に私の両親を説明するならば過干渉、そして今の時代なら許されないであろう手が出るタイプでした。成人するまでは親の責任だ。悪いことは悪いしっかり叩き込むタイプ。小さい頃は歯を磨くのが下手だと思いますが私の両親はしっかり磨けていないとしりを叩く、手や布団叩きで。恐怖で支配するような家庭だったと思います。小さい頃は本当に怖かった。それが根付いて何も言えない。そんな子供が私でした。小学校の時間割も自分で用意しても母が必ず調べてやり直す。子供ながらにどうすれば怒られなくて済むのか、人の顔色ばかり気にしていたんだと思います。そしてそれは今になっても。未だに人の顔色ばかり気にしてる自分がいるので凄く自分が嫌いです。

私には弟が2人いるんですが1番下の末っ子とはひと回りも違うので育てられ方がだいぶ違います。ある意味恐怖で支配したしつけ方をされて育ったのは私や5歳下の弟。ひと回り離れた末っ子は比較的甘やかした育てかたで恐怖とは関係ない育てかただったので友達の家へお泊まりするのもOK。私たちの頃は頑なにダメだったのに。よく言えば丸くなったのか。 

母の過干渉は私が成人しても変わりなく多分母本人も過干渉だと自覚はないと思います。就職してから一人暮らしをしたかった私は職場近くに引っ越せるように就職先の社長が色々と仕事が教えやすいように近場のマンション等を用意してくれたにも関わらず母は「なんで今一人暮らしをするの?お金はどうするの?生活出来るわけない!」「家から通えるところにしなさい」でした。父はその頃は多少丸くなったのか「一人暮らしは賛成する」でした。何でもかんでも決めつける母がだんだんと苦手になるどころか顔では笑顔で好きな振りでしたが心では大嫌いでした。それは今も変わらないかも。結局一人暮らしも母に壊されて私がやること全てダメなんだ…。になりました。精神科に行きたくても干渉する親がそんなの心の甘えという人達なので行くにも行けず今に至ります。親からの呪縛って本当に厄介だし心が壊れます。

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