文字と言葉

言葉に触れること、いつからしていなかったか。

わたしは常日頃画面に向かってたくさん文字を叩いている。
仕事で、わたしはたくさん文字を叩いている。
仕事間のやりとりはなんだかいつもつめたい。
相手の表情が見えない。分からない。
分からないことは常にこわい。

こわいと感じるのは、わたしが単純に小心者だから。
相手の気持ちを常に伺っていたいから。

それがこの長方形の枠の中に、文字として収まると一気に見えなくなってしまう。
伺えない。枠の外でヒトはどんな顔をしている。
見えなくて、分からないことは常にこわい。

最近、仕事の文字たちに必要なのは「感情」よりも「分かりやすさ」であることを知りました。
それからわたしは、無心になって文字を叩くことにした。
必要なこと、失礼のないように。例文を探して、何が尊敬語で何が謙譲語で何が丁寧語か。


日本語は世界一豊かな言語だと思う。
わたしはその豊富さがとてもすきだ。

だからこそ、時々わたしの邪魔をしてくることが悔しい。
使いこなせてないぞお前って言われているような気がする。


あーもういっそ英語で書いちゃいたい。
pleaseって語尾に付けて全て済ませちゃいたい。
そしたらめっちゃ楽なのに。



眠る前に本を読んで、人物の感情が流れ込むと安心する。これが言葉だ。
たとえそれらが自分勝手で乱暴だとしても、どうしようもなく情けなくても、わたしの心は潤って生きた。

言葉に触れること、いつからしていなかったか。

そんなことを思いつつも、わたしは今日も無心に文字を叩いている。
もちろん、精一杯のリスペクトを持ちながら。

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