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ばかなボクを許してほしい

ずっと誰かに許してほしかった。

母の働く姿を見て育った。19歳で結婚した母は一人でボクを育てた。20代〜30代の青春を彼女は子育てに費やした。働いたのはピザ工場。そこで事務員をしていた。よく働く真面目な母だった。

そんな母の幸せを思った時、自分が産まれない方が良かったんじゃないかと本気で考えていた。自分がいなければ、もっと楽しい人生だったんじゃないだろうか。ボクは、母の青春を奪ったという罪悪感から逃れることができなかった。

大人になって、何人かの女性とお付き合いをした。誰かと一緒にいると、その罪悪感は薄まっていくような気がした。とにかく愛を求めたボクは無様だっただろうと思う。

「ボクのことを好きになってほしい」と恋人によく言った。でも本当は、ボクの事を許してほしかった。ボクの存在を許してほしい。あなたが愛してくれるなら、あなたのために生きるから。生きている理由を恋人に依存した。

母には一人、兄がいた。おじさんは一人っこのボクのお兄ちゃんみたいな人で、よく遊びに行っていた。そのおじさんと20歳になった記念に、居酒屋に行こうという話になった。聞けば、ボクが20歳になって一緒にお酒を飲む事を何よりも楽しみにしていた。そこで自分の出生の話を聞いた。

スタイリストの専門学校を辞め、勘当同然で家出した母。1年後に戻ってくるなり頭を下げ、妊娠したと祖母と兄に謝罪した。もうすでに父親とは連絡がつかない状況だったという。

「子どもはどうするんや?」兄が聞くと、母は「産みたい」と言い、大粒の涙を流したという。それからボクは産まれ、当時19歳の母は泣いて喜んだ。暑い暑い、夏の朝だった。

「のんびりと穏やかに生き、誰かに希望を与えられる人になりますように」そんな意味を込めて、息子の名前は「悠希」と名付けた。

その話を聞いて涙が止まらなかった。小さい時に連れて行ってもらったディズニーシーも、電車博物館も、クリスマスに買ってもらった仮面ライダーのベルトもその全部が愛だった。貧しかったけれど、とっても楽しい二人暮らしだった。

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「お母さんにしてくれてありがとう」

お酒に酔った母がぽろっと言ったことがあった。その時はよく意味が分からなかったけれど、今ならわかる。

「大好きなあなたが産まれてくれたから、頑張れた。私のところに産まれてくれてありがとう。」

きっと母はそう言いたかったんじゃないだろうか。

ばかなボクを許してほしい。あなたの愛の存在に気づけなかったボクを許してほしい。

母はそれからピザ工場で出会った5歳年下のイケメンと再婚し、ボクが17歳の時に元気な女の子を出産しました。結婚するなら30歳超えてからやで、と笑ってボクに言う。大きな病気などせず、変わらず笑顔でいてほしい。

大好きな母へ、このnoteをおくります。

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