マネージャーを離れて気づいた事

普通の学生生活

 最後の箱根駅伝が終わり、部活を引退して、自由の身となりました。朝はゆっくり寝られる。次の日の事を気にしないで夜更かしができる。寝坊のプレッシャーから解放される。少しほっとしたのを覚えています。

 朝は授業に合わせて起き、授業終わりに飲み会やって、夜遅くまでアニメを見る。気が向いたら少し走ったり、派遣のバイトをしました。大学生はこう言う感じなのか。そう思いながら生活してました。

不安感に襲われる

 普通の学生生活を始めて少し経った時でした。授業がない日だったので、アパートでゴロゴロスマホをいじってたら、何の前触れも無く不安感に襲われました。

 今まで感じた事の無い感覚で、とても変な感じがしました。原因は何なのか分かりません。その後も、不安感に襲われる事が数回ありましたが、何かして紛らわすようにしてました。

実家に戻っても襲われる不安感

 2月下旬に、東京のアパートから実家に戻ってきました。地元の同級生と会ったり、飲み会やったりして、楽しい時間を過ごす事が出来ました。それ以外の時間は家でゴロゴロして、なんのストレスも無く過ごしてました。

 ですが、不安感に襲われる事が実家でも起こりました。暖かい美味しいご飯は食べられるし、寝床に困らないし、金銭的にも困らない。なので、とても困惑したのを覚えています。

適応障害になった夏

 大学を無事卒業し、内定をいただいた会社に入社しました。最初の3ヶ月は同期と一緒に本社で研修を受けました。研修中一緒にご飯とか飲み会によく行ってたので、同期の仲はとても良かったです。今でも連絡を取り合って、みんなで集まろうと話す位仲が良いです。 

 しかし、店舗に配属されてから不調を感じるようになりました。メンタルがズタボロにやられて、気力が湧いてきませんでした。今まで経験した事ないような辛さで、手が震える事もありました。怪我なら、自分でも出来る事はありますが、メンタルは良く分かりませんでした。

 本当に我慢できなくなり、車で1時間半の所にある精神科に行きました。誰にも知られたくない、恥ずかしいと思ったので、遠くの精神科にしました。そこで適応障害と診断され、診断書ももらいましたが、どうすればいいかさっぱり分かりませんでした。

芽生えた陸上への思い

 メンタルがやられて、本当にこのまま死んじゃいたいなんて思う事もありました。でも、ある思いがふと生まれました。「マネージャーとして陸上の世界に戻りたい」理由も根拠もありません。ただ漠然と思いました。そこから、どうすれば陸上の世界に戻れるか色々調べましたが、具体的な解決策は未だに見つかっていません。

 ですが、「マネージャーとして陸上の世界に戻りたい」この思いのおかげで社会人生活何とか乗り越えてきました。陸上で飯を食う。そんな事が叶ったらとても素敵じゃないですか。ただ、覚悟も必要なことは承知してます。走る事を仕事としている選手に接するので、なあなあな気持ちでやろうとなんて思ってません。

陸上に飢えていた

 実は、大学4年の秋に「大学院に行って一緒にやらない?」と監督に声をかけてもらってました。その時、自分が陸上を続ける考えが頭になかったので、断ってしまいました。

 地元に戻って、実家から通える所で働かないといけない。そういう頭の硬い考えに囚われてたので、もしあそこで断ってなかったらどうなってたんだろうと思います。

 引退してから感じた不安感も、陸上に関わる事が出来ない寂しさから来てたのかもしれません。本当は陸上の世界にいたいと思ってたけど、見てみぬふりをして、逃げていた気がします。本心と向き合う事って結構体力いるので。

もし陸上の世界に戻れたら

 自分の同世代の実業団選手が引退を発表する度、アスリートって永遠じゃないんだなと感じます。同時に、大学の時、自分は選手に本気で向き合えていたのだろうかと思います。

 学生のほとんどは、箱根駅伝を最後に引退するし、様々な事情でもっと早く引退する人もいる。学生アスリートとして限られた時間を全うする選手に、マネージャーとしての自分はどうだったか。

 次は、もっともっとチーム、選手のために尽くしたいし、全力で向き合いたい。走る事で貢献できない分、自分の気力を全部注ぎ込みたい。そして、選手が引退する時、悔いが残らない素晴らしい競技人生だったと思えるように支えてあげたい。

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