曲は好きだけど話し方は苦手

曲を聴くと言うのはほとんどの場合「印象」がメインとなる。
印象からは様々な妄想が生まれる。いい曲だと感じるほど、歌っている本人もすごくいい人に違いないという「文脈」を求めてしまいがち。

ここでの文脈は理想による妄想が出発地点なので、厳密には文脈ではない。(客観的事実を伴っていないから)

そうした自分の中で建てた筋書きから外れた時、人は自分の中で矛盾が生じ、ストレスを感じるのだと思われる。いい曲だからいい人だと信じていたのに裏切られた、と勝手に妄想した上でそう感じるのである。

印象と文脈は必ずしも一致しないことはよくある。格付けチェックでどちらが高いのか当てられないのが人間。(感覚は曖昧であると同時に正直でもあるので、一概に印象が悪かといえばそうでもない。)

国民的な有名ミュージシャンに対して、「曲は好きだけど話し方は苦手」というのを目にした。わざわざ言うことでもないが、本人にとってはよっぽどストレスだったのであろう。『こんなに素晴らしい曲を書く人が、こんなに苦手な話し方をするわけがない』という、きっと理想を壊されたくないがための反応のようにも思える。

いい人だと思っていたのに、というものは周りが勝手に思っていた、そう思いたかったから、そういう筋書きにしとけばとても理想的で綺麗だから、という側面もあるように思う。だからと言ってみんな悪い人かと言えばそうでもない。

中身は見えないのでいまのところ印象から想像するしか方法はない。周りが思い描くキャラクターを守ってくれるミュージシャンもいなくはないけど、商品ではなく人間なのだから、全ての理想を押し付けるのはなんだかな、とは思う。(それはそれで嘘をついているわけだから)ともかく、曲だけは愛していて欲しいなと思った今日この頃。


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