音か意味か〜ハライチ岩井のエッセイをよんで〜

ハライチ岩井の"すばらしい"エッセイの中に、「なぜ自分は洋楽を聴かないのか」についての考察があった。ざっくりいうと「聴いている音楽の歌詞の意味が伴っていないと気持ち悪い」という内容。とても理にかなっていると思うし、大体の日本人というか人間は音楽や歌詞に意味を求め味わい消費していくので、至極真っ当な考察でわかりやすくまとまっていたと思う。

などと納得すると同時に、自分の場合は昔から音楽は音として聴く傾向があるなとあらためて思ったので逆に「なぜ洋楽を聴くのか」を考察してみた。

すごく雑にいうと「良いこと言ってるのにクソダサい音楽」か「歌詞はくだらないけどめちゃ格好いい音楽」を出されると、後者を選ぶ傾向にある。これは音楽の「音」へのこだわりが強くなればなるほど現れる現象じゃないかなとも思う。もちろん最初は歌詞を聴いていたはずだけど、いつのまにか「音」を取り憑かれたように追い求めるようになっていたと気づく。

基本的に感情移入・共感するもの=エンタメなので、あるあるネタやコントのいい設定や面白い映画、ドラマなんかもその辺りが重視されていると思う。もちろん音楽も同じで、どういう場面で機能的に「そういう気分」にさせてくれる・補助してくれるものが良い音楽として受け入れられるし、用途が多岐にわたるものが広く浸透していくという傾向にあると思う。

ただし音楽、「音」というのはそもそも空間を勝手に支配してしまうもの。一度再生していしまえば一瞬で場の空気を作ってしまう作用もある。地上最強のムードメーカー。その言葉にできない「なんとなくそんな感じがする」ものが、音楽の音の部分にある。

そうした「音」のみを純粋に味わうために、意味をかなぐり捨てる(一聴では内容を理解できない)音楽として海外の音楽を聴いているというのがひとつの理由に思う。逆に意味がわかってしまうとそれが先入観となり「音」で勝手に想像を膨らませるという遊びができなくなってしまうので、逆になるべく調べないようにしている。

それならボーカルのないインストで良いじゃないかという話にもなりそうだけど、声も「音」として味わっているのでそういう話でもない。英語の発音、フランス語の発音、韓国語の発音と国によっての違いも興味深く面白い。当たり前だがもちろん声自体にも個性がある。

慣れてくると日本語も同じように「音」として聴こえてくる。そのうちJ-POPですら一聴しても何の歌だったかは全く答えられなくなり今に至っている。好きなはずの曲をカラオケで歌う時に初めて「こんな歌だったんだ〜」と気付くほど。(これには幼少期から必然的に字幕でテレビを見ていたことも関係していると思う)

洋楽ファンの中にはきちんと海外カルチャーに興味があり文脈や意味をしっかり理解してから聴く人ももちろんたくさんいる。この場合は感情移入の方法が同じなので、聴き方としては日本人が日本語の曲を聴く感覚と同じと言える。ただ聴いているものは海外の音楽なので、自分とは話が合うという不思議な構図になる。理由は違どゴールが同じパターンである。

これとは違い「意味」を完全に無視しているので、作品は好きだがミュージシャンにはほぼ感情移入していない。もちろん今の時代情報ゼロではないためお気に入りのミュージシャンはいるが、新作を楽しみにしている程度。日常生活や発言には全く興味関心がなくフラットに音だけを楽しんでいる。ミュージックライフ的小噺は知識としては楽しく聴けるけど音楽面でいうと正直どうでもよくもあるし、先入観が生まれるので排除したくもある。

1アーティストにいちいち感情移入をしていると全ての時間が奪われて勿体無いという考えも少なからずある。偏った入れ込み方をしていると他のすばらしい音楽に出会う機会がなくなってしまうかもしれないと感じているし、フラットな視点(たくさん聴いた中でお気に入りを見つける)が失われる危険性も感じている。美術館を進むように次から次へと見ていくのが理想的である。

意味を抜きにしてほぼ100%音で聴いてると、全てがシームレスに繋がってくる。歌っていようがいまいが、音があればいいという感覚になるのでいわゆる「なんでも聴く」状態に持っていけるのである。表面ではなく音楽のヘソが見えてくる感覚が生まれてくる。

また先ほども述べたように絵画的に聴いているため、違うことを言っているけど似たような音の場合はあまり興味を惹かれない場合も多くある。ただボーカルが違うだけで聴けちゃう場合もあるので一概にどうとも言えないのが現状。

このように音だけで判断という純粋な音楽体験(しかもボーカル付き)ができるのは、「言語のわからない海外の音楽を聴いている瞬間」に唯一訪れるもののような気がする。そしてこの感覚で音楽を聴いている人はどのくらいいるのかが気になるところ。

そんな感覚で音楽を聴いているにも関わらず、もしも自分で作る場合はとても気にしながら作ると思う。聴いてもらう分にはどうでも良いと思って欲しいが、作品としてはきちんとしたいという気持ちが出てくるはず。これは全く別物な話であるが、わからない人にはわからない話な気がする。

「意味」に感動するか「音」に感動するか、エンタメとしてなのか音楽体験としてなのか、人それぞれの受け取り方が多数存在。よくある「人物」と「作品」を切り離して考えろという人は後者のようなタイプが多いんじゃないかと思う。「意味」に感動してる人にそう言っても意味がないことを知らずに言ってそう。

どちらが正しいという話ではなく、ただただいつのまにか自分はこうなってしまったという話。ここまで狂わせてくれる音楽って本当に面白いな〜と思う。

ちなみに今回は「なぜ洋楽を聴くのか」という視点からだったけど、普通に「意味脳」で国内アーティストをエンタメとして楽しんでもいる。最近はほぼ超ときめき♡宣伝部に生かされている。人生ってすばらしい。

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