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生きてるうちのことなのよ

 よくも悪くも、というのはいい運命も悪い運命もってことで、どのようなできごとがあってもそれは生きてるうちにだけ味わうもんであるなあ、みたいな素朴なことをいいたいんですが。

 これは最近よく思う。生きてるうちのことなんだよなあと思う。個人的な話をすれば、よいことではまあのんびり暮らせているし、日々楽しいし、好きな作業もできているというもの。悪いほうであれば、部屋にGが出ても、その忌まわしい懊悩も人生のほんの一幕よね。いろいろ対策とってG類補完計画と呼んでおります。

 幸せな人生と不幸な人生は死の間際に価値が逆転しはしないか。有形無形の多くを得るような幸せな人生ならば、それらをすべて手放さねばならない苦痛があるんじゃないか。それとは反対に、少なくしか得られない不幸な人生ならば、無に帰すときに楽になるであろう。

 そこへ例外的ながら、少なく得て幸福、という手もある。禁欲的に生きる方法であって、哲学者とか思想家みたいな人たちはわりとそれでやってきた。芸術家たちもそうね。知性や表現によって貧乏や不遇を超越したというか、無視したのである。ついぞ儲かることなくとも、俺はここまでの仕事をやった、と頷いたときに、あいつらどんくらい幸福だったかしらねえ。すごかったと思うんだけど。

 どうであれ生きてるうちだから、ってことでいろいろしなきゃなりませんな。あたくしもまたがんばってます。六月中にあと三冊の本を読まねばならぬ。脳の肥料になりそうなやつをガリ勉で詰め込んでるところ。六月はそればっかりだった。

 詰め込みが終わったら新作を書く。いい仕事しまっせ。秋に締め切りがあるのでそこを目がけて、飛び出せ金井枢鳴。

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