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断片 本と睡眠、ビリケンさんの夢

 深夜から明け方までガッツリ読書、一冊片づけてのち寝た。寝不足か疲れか、そのどちらもか、ゆっくりと寝たもんです。寝る前にチェリのモツレクを聴いていてこれが眠れるやら眠れないやらのこと、いや結局寝たんですけど。奇妙な夢を見た。ビリケンさん、あの大阪の、通天閣にあるんだっけ、そこの神様っぽいのが夢に出てきた。こちらに微笑みかけている。私たちは親しく会話をした。内容は覚えていない。ただビリケンさんっぽいその神様的なものは真鍮のような色に光っていたこと。なんの暗示かねぇ。夢占いしたいね。

 一輪挿しを追加で買おうの算段。芍薬がいよいよ咲き出して、二本あるんですけども、一本を書斎に置こうとの考えで。書斎の青い花がまだまだ余裕あって、これでは一輪挿しが空かないのだった。だもんで追加の一本を明日買ってくる。そこに芍薬を飾る。すっかり花好きのメンズですよ。人間の可能性はどこにあるかわからんな。であればとりあえずやってみるというのもありなのだろう。生業にしたいと思っている小説だって、最初はなんとなく書いてみただけなのだ。三行くらいのメモのようなものが始まりだったな。それがいまや人生を輝かせるか棒に振るかの分岐点となっている深刻、事態は真剣勝負。勝負って好きよ。ギャンブルは嫌いだが。

 とある本に、心が苦しくなってきたらそれはインプットのしすぎのせいで、そんなときはアウトプットをするタイミングなのだ、とあった。スマホの普及で情報などいくらでも入ってくる中、インプットはやりすぎるのが現代病のようなものだろう。そこで頭の中を掃除するためにアウトプットするというのは理にかなっている気はする。たとえばこんな雑文でも書いていれば心の状態はよくなるというもの。書けばいいのだ。ネットでもチラシの裏でもいいんだからそんなん。あとは歌ったり楽器をやったりすればいいんじゃね。つくることは大切だっていうのがその本にあった結論部分だったはず。つくれつくれみんな。

 ヤンソンスのラフマニノフを聴いている。一枚千円くらいで投げ売りされてたものを昔買ったのだ。とんでもないことしますね。これ千円で買っていいのか、って、そう思ってもいまやいろいろもっと安く買ってるのだ。CDは安い。安くなった。この三枚のCDの頃から価格破壊は進んでいたのだろう。ともあれこの三枚、なんともロマンティックに響くもんでありますけど、オーケストラがどこかっつったらサンクトペテルブルグフィルだったんですね。お国柄だ。お家芸だこれ。それならこのとっぷりの叙情の理由も理解できる。詩情というべきか。甘ったるくなるスレスレでセーフ、いやギリギリでアウト、うっとりしてしまうじゃろがい。うづぐしないー、うーんとうづぐし。こっただいいもん他にねべした!

 読書、ということではnoteの皆様方、ショーペンハウエルの例の本を読んでいる方が多い。まあ気になるよな。『読書について』だからなタイトル。光文社古典新訳が多く上がっているのは時代のゆえだろう。私はかつて岩波文庫で読んで、覚えている限りでは、学者的な濫読をすると思考が鈍り、本を読むのなら揺るがぬ自らの精神を持たねばならない、みたいなことが書いてあったはず。この場合は哲学ですね。柱として哲学を持てと。うろ覚えですが。ちなみにショーペンハウエル自身はけっこうな読書家であったことは裏設定としてある。哲学者だから読むのも仕事なんだろうが、その上での教訓の書であろう。ああ思い出した、『意志と表象としての世界』を積んでいるのだ。文庫になってるものはすべて読んだというのに。




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