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ガリィの戦いと祈り 『銃夢』について

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 『銃夢』を推します。ガンム、と読みます。中学生のときに地元の古本屋で手にしたこの漫画が私の人生をいくらか変えたものです。影響は受けた。崩壊してたり荒廃してたりする世界を書きたがる傾向は明らかにここから。

 何年か前に『アリータ:バトル・エンジェル』というタイトルで映画にもなって、いやあれもよく作ったもので実に見事だったんですけど、やはり原作に親しんでいるので、どちらが好きかといえばどうしても原作のほうで。ただし続編である『銃夢 LastOrder』以降はあまり追えてないので、ここでは単行本九巻で終わったほうの『銃夢』についてだけ。旧約聖書的なポジションでしょうか。

 思い出として、人生の一部としてこの漫画が私と共にあってくれた感じで、舞台のひとつであるクズ鉄町なんて実際に住んでいたような気分で懐かしいほどのもの、そしてそこに覆いかぶさるザレムという天空都市、いやはや。コマのひとつずつから思い出せそうなもの。ちなみにザレムの上にはイェールというものがあり、並べていえばイェール・ザレム、転じてエルサレムとなるらしい。

 ストーリー。ザレムからクズ鉄町に降ってくるゴミの中で、イド・ダイスケというサイバネ医師がサイボーグの少女を見つける。身体は壊れているが脳は無事、ただし記憶をなくしている。イドは彼女にガリィという名をつけ、新しい身体を与える、というあたりから始まるもの。この頃はガリィもまだ少女。だがそこからの過酷な経験、戦い、それらによって壊されるもの、救われるもの、それらの中心にいて人間としても戦士としても成長していくガリィ、ちょっとひとことではいえない物語が展開していく。

 単に波瀾万丈といえばそうかもしれない。だがこれほど苛烈な物語を私は他に知らない。なぜあれほど戦ったのか、なぜあれほど奪われたのか、なぜそれでもガリィは歩けたのだろうか。答えらしいものは「強さ」に関わるものであろう。それは戦闘技術だけの話ではなく、かといって精神性だけの話でもない、運命のようにして持っている個体の強さ、存在の力か。普通の人間にこの人生は歩めない。ガリィでさえギリギリで戦った。最後の敵と戦う中で、あるいは全編を思い出してみて、作品のキーワードのひとつである「業(カルマ)」を想起せずにはいられない。人間の業とはなんなのか。ガリィをはじめ登場人物たちにあったあれらの業は、私たちにどう関係するか。自分が彼らのうちの誰と同じか、誰と似ているか。さらにいえば、私たちは何を大切にし、何を想い、そうしていったいなぜ生きているのか。ガリィは戦いを通して、暗にそう問うているような気が私にはするものだ。「で、お前はどうなんだ?」って。

 日本だ漫画だサブカルチャーだというときに、この作品を読んでいないというのでは済まされない、と言い切ってしまいたいくらい好き。文化的な重要度でいえば、私観としては『AKIRA』や『攻殻機動隊』や『serial experiments lain』などと共に歴史として並ぶと思う(並べてみればすべてSF作品になったのは偶然)。個人的には最重要作品だが、そこはひいきで。

 おもしろいです。おもしろいという言葉では不足であるほどに。ご興味があればぜひどうぞ。

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