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続・断片 8 休肝日の、休肝日のー

 酒を飲まぬ。それが休肝日である。って何をそんなにドヤ顔でいうことがあるかというもんであるが、あたくし昨日は、日付変更前は休肝日、肝を、肝臓を休めました。シラフででしかできないことってあるからね。そもそも飲まないのが普通になってしまったのが四ヶ月間の禁酒生活でのこと、毎日飲んだくれてたのはもう昔の話よ。他人は変えられなくても自分は変えられるってね。世の中に不満があるなら自分を変えろ、ともいう。酒ねえ。酒をときどきやめるってだけのことが、ぜひ語って聞かせたい摩訶不思議アドベンチャーってわけでもねえんだが、別に普通の話だが、ともあれたまには休肝日。あかんよ酒は。飲みすぎちゃいかんよ。脳とか人生とかが壊れた例をいくつも見てきたわ。

 さてビューが伸びないのである。前にやってた断片のときと比べて半分以下だ。どうしたものか。まあ誰も俺に興味がないのだろう。そういうのは慣れてることなので別にいいですし、差別や迫害や狂人扱いよりはけっこうマシである。ま、何を書いても読まれないのは悲しいですが。でもこれはひょっとして容器が違うんじゃないのか、違ってきたんじゃないのかとも思う。つまりあたくしはもうnote向きの書き手ではないと。それはそれでいやだな。なんとなく書いてしまうこうした文章を吐き散らす場所というのはほしいもんじゃないですか。いや、チラシの裏というのは自覚している。じゃあなぜ晒しているのか。そこのところは自分でもわからない。はいはい承認欲求。おうおう社会的欲望。そんなもんで片づくだろう。

 昨日とあるアニメのOVAを観た。よくできてんなーこれ。その作品にはテレビシリーズもあったんだが、原作により忠実なOVAのほうが完全版ってところであろう。このOVA第一話を観る限り、あー本気だなーこの人たち、といった感想。この仕事に賭けてきたっつーか。銃のブローバックの描写ひとつにどんだけ手間かけたんだろうなって。本気の仕事は伝わるよね。あ、ガチだ、ってわかってしまうよ。表現されたものに宿る想念みたいなもの。それがあるのはいい作品なのよね。しかしこれ原作者は幸せだよ。映像化でこれだけやってもらえてたらいろいろ報われただろうな。実力あるところに他の実力が集まるのだろうか。表現の力学。

 気温や天候がちょうどよかったらどっか行きたいんだが。ここいらは昨日は雨が降り、えれえこと寒くて十二月並みだったみたいですね。そろそろ本当に衣替えしなきゃいけない。クローゼットの中に衣装ケースふたつ。ただし雪崩れを起こしてそこをふさいでいる服がどっさりと。どうすんのこれ、というと、まず雪崩れてる部分をどかします。次に衣装ケースを引っぱり出して冬物を取り出していきます。空いたスペースに夏物、Tシャツなどをしまい込みます。雪崩れ部分などもここでかなりどうにかできます。だいたいのところを取り替えたら衣装ケースを戻します。そうするともう冬支度みたいな感じで完成です。

 今日あたり藤田真央のモーツァルトピアノソナタ全集が届きそうである。数ヶ月前に予約注文してたのだった。この人はすんごいよ。サブスクで他のアルバムを聴くのに飽き足らず、今回の全集をポチったもんである。毒気のなさというか、健全というのかね、そのピアノには何も恐ろしいものや病的なものがない。ドロドロしていない、サラサラしている。そのやわらかな光が眩しい。そのようにあたくしには聴こえたものですけれども。今回届くものも楽しみだ。モーツァルト向きだろうなこの人。楽しい時間がまたくるのだ。といってまた積みそうだけれども、早めに聴こう。


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