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小説 ファッキン・ナイス・ワーク #5

 古本屋界隈などでは、その作家の本をほしがるやつには気をつけろ、といわれるらしい。読者に妙なのが多いらしく、何かしら問題が起こりがちだという。盗むのなんかは当たり前だし、買ったのにカネを払わない、というようなよくわからないこともあるそうだ。
 作家の名を澁澤龍彦という。
 澁澤の本を探してきてくれ、と頼んできた老人からは特段変な雰囲気は感じなかった。そもそも客観的にいわくを話してきたのが彼なのだ。懐かしんでいるような口調でいろいろ語っていた。
「澁澤は別格だ」という。
「あれはああいう人間が生まれたんじゃない。何かが人間になったんだ」
 団地の小さな居間で俺と老人は話している。居間の壁には天井に届くような本棚があり、なかなかの読書家なのだろうと見えた。
「どの本がほしいんだ? いろいろあるだろ」と訊く。
「全集とか選集がいいな。バラで読んだのも多いが、もう一度まとめて読みたい」
 あの夢を、澁澤の世界の夢を見ながら死にたい、といった。
 老人の家を出て、団地のエレベーターで下に降りながら考える。澁澤龍彦。ちょっとニッチだが、有名どころだろうからすぐに見つかるだろう。
 エレベーターから出て団地を離れ、スマホでネットショップをざっと見てみる。中古の出品などはいくつかあった。選集をまとめ売りしているショップに電話をかけた。澁澤を売ってくれ、というと反応は鈍かった。
「ああ、身分証の写しをくれないとダメなんですよ」
「めんどくさいな。ただ買うだけだよ」
 それでもねえ、といって取り合わない。古本を買うのに身分証がいるはずもないのだが。そうして俺の身分証というのは訳ありなので、写しをとるようなところでは気軽に使えない。結局この店では買えなかった。
 他のショップに電話をかけてものらりくらりと断られた。澁澤を、というだけで声色が変わる。画面に出ているのに品切れだといったり、個人営業だろうに担当者がいないなどという。売ってるのに売らないというのはなんなのだ。ネットや電話では取り引きしたくないのだろうか。
 結局古書店街にまで行くこととなった。大通り沿いを歩き、建ち並ぶ店をつぶさに見てまわったところ、ボロボロだが箱入りの選集があった。棚の上のほうにどんと置かれてあり、値段はそう高くない。
 店内の奥にいる主人に、これを買いたいんだけど、と話しかけた。
「澁澤か……。お前さんは読まないんだろ?」
「どうだろうな」
「読まないね。お前さんは読まない。相が違う」
「相ねえ。でもまあ売ってくれ、頼まれたんだ」
「誰が頼んできたんだ」
「読書家のじいさんだよ。澁澤の夢で死にたいとさ」
 変な夢を見たがるもんだ、といい、主人は椅子から立って選集をひっぱり出した。代金を払い、紙袋に入った澁澤選集を手にして店を出た。全七巻の重い本だ。取っ手が指に食い込む。
 さて、あとはこれを老人に届けるだけだ。電車に乗り、一度自宅に戻った。ちょっと休憩をしようと、安い紅茶を淹れてソファに座った。
 横目で紙袋を見る。澁澤龍彦。おもしろいのだろうか。気にはなるが、手はつけなかった。
 翌日、連絡した上でもう一度団地へ向かった。老人の部屋に入り、紙袋を渡す。おお、これは、などといって驚きながら笑っていた。
「状態は悪いけど、これでどうだ」
「うん、うん」
 箱から出してめくり始めた。目がとろんとしている。しきりにつく溜息。
「そんでギャラのことなんだけど」
「うん、うん」
「聞いてるか?」
 老人はもう相槌さえせずに夢中で読み出してしまっている。何度も話しかけたが丸っきり無視された。さっさとギャラをもらいたいが、この調子では払ってくれるかどうかもわからない。
 ああ、と思う。
 澁澤の本をほしがるやつが妙なのは本当なのだった。



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