小説 ファッキン・ナイス・ワーク #3
コンサートへ行きたいから手伝ってくれ、という依頼だった。
電話で詳細を詰めていったところ、チケットの手配、席の位置を決めること、会場までの付き添いと、できれば帰りも送ってほしいとのことだった。報酬とは別に費用は全部持つという。
依頼人は目が見えないそうだ。それなら手伝いくらいはできるのだが、問題はそいつが若い女だということだった。
無防備だろう、といって断りかけた。だいじょうぶ、と女はいった。
「あなたが悪い人じゃないことは聞いてるから」
「誰がいってたんだ?」
「あなたに助けられた人。お金はかかるっていうけど」
口コミというやつか、と思い、やや迷ったのち引き受けた。
行きたいコンサートは来週のもので、どうせだからS席で、当日はどこどこからタクシーで、などというのを聞いてメモをとっていく。S席をふたつだという。誰か他に来るのかと思ったら俺のぶんだといった。横に座っていてくれると安心だそうだ。
「これクラシックだろ。あまり得意じゃないな」
「好きな曲とかはないの?」
「ええと、ロ短調ミサ曲」
わー、バッハだー、と女はケラケラ笑った。
コンサートの当日、某駅前のロータリーで女と待ち合わせた。ガードレールのそばに立ってあたりを見回す。ときどきスマホを見る。待ち合わせ時間が近づくと、遠くから白杖をかちかちとついて歩いてくる小柄なのが見えた。背筋を伸ばして、なんだか育ちのよさそうな感じの濃紺のワンピースを着ていた。
正確にこちらに向かってくるので、見えてるんじゃないのかと思った。白杖の先が俺の靴に当たった。あ、すみません、と女はいって怯んだが、俺が名乗ると顔をわずかにこちらへ向けた。目は閉じている。
「待たせました?」
「いいや、ぜんぜん」
実は十五分前にはここに来ていた。
その後、ロータリーのタクシーを捕まえて乗り込み、行き先を告げた。コンサートホールまで向かう。運転手は訝しげにバックミラーで俺を見る。
何を着てきたの、と女が訊いた。一応スーツだよ、と答えた。何色、と訊く。なんか普通のダークグレーだなと応じた。ネクタイも締めてきたといった。
「ちゃんとしてきてくれたんだね」
嬉しいな、といって笑顔を見せた。家族なり友人なり、この子にはコンサートに連れていってくれるやつはいないのだろうか。あまり深く尋ねるのも気が引け、車窓のほうに目をやった。
タクシーは大通りを走る。ところどころで道は詰まる。俺と女は、少し話しては黙り、というのを繰り返していた。気まずいわけではなく、仲よくなりすぎてはいけない、一線は守らなければならないというだけで、たぶんそれはお互い気をつけていることだ。
「コンサートのあとに」と女がいう。
「ビールが飲みたい。ギネスビール」
「けっこうわがままだな」
「帰ったら飲めないし、今日は特別にと思ってさ」
わかったよ、というと、うふー、といって嬉しそうにした。
俺はスマホでバーを探した。ギネスが飲めるところというとどこかわからなかったのだ。
飲める店をいくつかピックアップした。また車窓を見る。巨大なビルがあちこちに立っている。コンサートホールはすぐそこだ。きっといい音楽が聴けることだろうが、その楽しい時間もすうっと過ぎていくと思う。俺とこの子は音楽にひたり、そのあとギネスを飲んで、気分がよくなって、しゃべり、またタクシーで帰り、楽しかったねといって別れるのだ。俺はそのとき自問するはずだーーこれでカネをもらっていいのか?
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