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断片 最終鬼畜四月末

 四月は今日で終了です。なんともまた時間が流れる。実に実に世界は無常ですねぇ。今月は何やらずっと書いておりました。ひたすらに雑記。Amazonベーシックのノート、二冊目を三分の一ほどを埋めて一休み。他の書きものもある中、これを毎日バッツリ書いてたのはちょっと異常だったと思う。気がつけば疲れすぎていた。いったんこれを休みとして、書きたいときだけ追記するやり方としてみたい。こちらの、この断片のほうはあまり負荷はないのでしばらくはやれるかと。執筆開始までは書いていけばいいんじゃね。誰が読んでくださるとも知れぬし読んで得することもなかろうが、ネットのはじっこでこうしてぽつぽつ書いているのも楽しいもので。

 転がる石に苔は生えない。これはアメリカとイギリスの諺なのだが、両国で意味合いが違うらしい。アメリカの場合、変わり続ける、移動し続ける限り新鮮でいられる、そんなようなポジティブな意味。アメリカンニューシネマでも動きまくってるもんな。イギリスの場合はネガティブで、転がっていては苔が生えない、落ち着いた人生にはならない、みたいなことになるそうだ。あちらはどの階層にいるかもあるが、これはおじいさんが集めた本、こっちはお父さんが集めた本、などという堆積が屋敷にあったりするという。どっしりと落ち着き。風格あるね。さて転がる石、どう生きたものだろうか。私でいえばここ数年はイギリス式にやっている。本に囲まれてるし。

 連休なんですねえ。今日はお客さんが来るので着るものなどを選んでいた。ランチ会である。食べてしゃべって、という日になりそうなところ、楽しくやれそうですよ。そういう予感がある。みんな日々の会話が少ないのかもしれんので、ここはひとつしゃべろうと。交流しようと。そういうちょっとしたことが大事かもしれないねえ。永遠にひとりでいられるやつとか超人だからね。または魔人。五億年ボタンですかって。おっがねえないー、うーんとおっがね。そういうわけでみんなたまには人と話しましょうの機会が本日のこと。なんかちょっと楽しみじゃん。祈りにも似て非なる話題を持って、と中村一義は歌った。そんな素敵な話ができればいいですね。

 ペルゴレージの『スターバト・マーテル』を聴いた。この名曲にいままで親しんでこなかったのはもったいなかったね。悲しみの聖母、という意味のタイトルを持つこの宗教曲、とてもとても美しい。我が身を懺悔したくなるね。やはり声楽ものもいいですなあ。人の声には楽器を超える何かがある。それを魂といってもいいし霊性といってもいいかもしれない。あるいは感情、情感。楽器が声の代わりとしてあるものなら、そもそもは声帯や口こそが楽器の始まりだったことだろう。その意味で始原の、なに、歌? 音楽? は人が最初から持っているものであること。産声が最初の歌だったこと。

 一晩中読書していた。やまぬのだ、ページをめくるのが。いい本に出会えたことを何に感謝すればいいというのか。本と出会うこと、いい本がまだまだこの世にあるということ、書物の大海原、一狩りいこうぜっつって本屋へ通うこと、苦労して持ち帰った両手の紙袋、自宅に配架してニヤリニヤリ、やがて取り出してねっとりと読む。この楽しみをね、味わえばそれが人生のスパイスよ。日々やっていることがそのまま人生だという。金井は本を読んでものを書く人生を送りましたと。そして音楽と映画を愛しましたと。そういうまとめられ方の最終章は願わくばずっと先。味わうぜこの人生を。



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