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私の書棚には、ささやかに千や二千の本があるが、未読の本も多く並べてあるあたり、誇るには少し足りず、時折人に見せるに及ぶときにはどうにも居心地が悪いのだった。いつかやってみたいやりとり。「これ全部読んだのか?」「まあな」などと。
今日は晴れていて、だからどこかへ出かけてもいい。だが、どこへ行くというあてもなく、部屋でやりたいことというのもまたあるので、外か内か、まずは二択なのだ。外では感染症が怖い。内では退屈が怖い。どうするか迷っているうちに一日などは終わりゆく。果たして何がしたいのか、この一日もまた人生の一部だというのに。
藤田真央のピアノを聴いてみれば、タッチによるものかリズム感によるものか、またなんとも心安らぐというもので、サブスクで聴いているのが申しわけないくらいのもの。私はいつか彼のリサイタルに行くであろう。よいものをただ見逃すことなど、惜しい。
がんばれ!いつか死ぬ。と誰かがいった。生きてるうちのことなのよ、とも誰かがいった。私が思う生と死は何も特別なことではなく、いずれ死にゆく人々がいまは生きているというように見ているだけで、だから悲しくはなくて淋しいのだ。
新作のアイディアに自惚れるような昨夜だった。すばらしいものの予感に実力が追いつけば、それで私もようやく勝てるのだろう。どこかへ行ける。ひっそりと暮らすようなどこかへ行ける。読み、書き、聴き、観、それだけで暮らす日々、いつかにはそれが来る。
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