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小説 ファッキン・ナイス・ワーク #2

 絵描きが絵を漁っている間、床に絵の具が飛び散ったアトリエの隅の、小さな椅子に座って待っていた。窓からは手入れされていない庭が見えた。雑草が伸びている。壊れた木箱が放ってある。そんな庭を見つつ待っているとやがて絵描きがそばへ来た。金色の額縁に入った絵を手に、これを売ってきてくれ、といった。有名な絵やその贋作ではなさそうだ。色合いや雰囲気としてはフェルメールに似ている。これはあんたが描いたのかと訊くと、そうだという。
「ギャラリーにも置くあてがなくてな。生活費もない。大事な絵だが、この際売っちまおうと思う」
「いくらで売ればいい?」
「十万や二十万なら助かるね。それでダメなら五万でいい」
 強気なのか弱気なのかわからない値段だ。なんとか売ってみる、といって絵を布で包んだ。雑に扱うなよ、と釘を刺された。報酬は売値の三割と取り決め、俺はアトリエを出た。
 さて、まずはネットでの出品だ。別に専門のギャラリーでなくても売る場所はある。個人で売買するようなサイトだ。
 ネット向けに写真を撮らなければならない。どこで撮ればいいか考えつつ歩いた。駅へ戻る道のわきに、純喫茶と看板に書かれた古風な店があった。店内は琥珀色の照明がついている。ここの窓際というのがよさそうだ。
 店へ入る。他に客はおらず、中年のマスターが暇そうにカップを拭いていた。窓際の席に座るとおしぼりと水が出てきた。ブレンドを注文する。
 やってきたコーヒーを飲みつつ、絵をテーブルに置いて包みをほどいた。当たる光はちょうどいいだろう。店内の琥珀色と窓からの日差し、それらが混ざって絵を照らしている。明るすぎず暗すぎずだ。
 テーブルに覆い被さるようにして、スマホで数枚撮る。自分の影が写らないようにするのに苦労したが、どうにか撮れた。その写真をいくつかのネットのショップに登録する。悩んだのは値段だ。あまり高くても売れないだろう。かといって安すぎてもこちらのうまみが少ない。結局十万とした。無名の絵描きの作品として、それが高いのか安いのかはよくわからない。
 ぬるくなったコーヒーを干して、他の売り場のことも考えていた。そうしていて連絡が入った。ネットショップ越しのメッセージだった。
 先生、といっている。
 先生、まだ描いてたんですね。懐かしいな。
 それを読んで思い出した。あの絵描きは高校の美術教師をやっていたことがあった。羨ましいことに女子高だった。このメッセージはそのときの生徒からだろう。
 懐かしいな、のあとに近況が語られていた。美大を諦めたこと、通信の大学に入って卒業し、一般企業に勤めていること、そういう中でもデッサンは毎日こなしていること。
 絵は言い値の十万で買うといっているが、少々こちらの出しゃばりになりそうなので、絵を持って喫茶店を出、絵描きのアトリエに引き返した。
 絵描きはまた絵を漁っていた。これ以上売るつもりなのか、それとも他のことで探しているのか。声をかけるとこちらを見た。
「どうした?」
「売れそうだよ」
 絵描きはこちらへすっ飛んできた。いくらだ、と訊くので、十万だと答えた。
「ただ、買取り先が難しい。あんたが決めてくれ」
 スマホに元生徒のメッセージを表示させて読ませた。絵描きは無言だった。
「売るか?」
「いや……。それよりも、この子と話がしたい。違うな、話したくはないが……」
 そういってはっきりしない。売らないのならこちらのギャラも入らない。ならばさっさと帰りたいのだが。
「手紙を書きたい」と絵描きはいった。
「メールやメッセージじゃなくてか」
「手紙だ。それを絵に添える。そして絵は売らない」
「ん? わからないな」
「この子にプレゼントするってことだ」
 後日、分厚い手紙の封筒と共に絵は送られた。絵描きのいうようにプレゼントとしてだ。いろいろ手伝ってくれたからと、俺にはいくらかの謝礼が渡された。
 詳しい事情などは知らない。ただ、絵描きとあの子は少しばかり特別な関係だったのだろう。
 しかしまあ、そんなこともどうでもいいのだが。



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