信号に真面目に向き合ってみた
信号とは街なかに乱立している「交通信号」のことです。
その信号への向き合いを真面目に考察してみました。
色々なところに信号が立っている。
六本木交差点のような交通量の多いところにある信号。
ちょっとした街中にある信号。
車通らないじゃん、と思われるような田舎道に設置された信号。
信号の役割とは?
・交通事故を防止します
・車の流れをスムーズにします
・交通環境を改善します
※公益財団法人 日本交通管理技術協会より引用
上記は信号の交通文脈での機能的役割です。
過疎化が進み人口が極端に少なく車もほとんど走っておらず、交通文脈的には信号機が必要無い街においても、子どもが都会に行って戸惑わないように教育目的で小学校など教育施設付近に設置する、という場合もあると聞きます。
私はそういった信号機の交通文脈的機能に興味がある訳ではなく、どちらかと言うと教育に近いかもしれない。信号は交通ルールのシンボルであり、親子間においてルール(規則、決まり事)というものをどう捉えるか、どう向き合うかに関心があります。信号を例に挙げると、
車が明らかに来ない時、あなたは信号を守りますか?
ということです。
こういったケースを想像して下さい。
仕事帰り、あなたは駅に向かって歩いています。
途中にある、交通量がそれほど多くない小さな交差点に差し掛かりました。
その交差点は車が全く通らない訳ではなく、2~3分に1台は通るくらいのペースです。あなたが交差点に差し掛かる時、信号が点滅し赤になりました。あなたな交通ルールを守って足を止めます。今、車通りはありません。あなたは特に急ぎの用事はありません。
一方、足早に駅へ向かう人たちは様々です。
あなたと同様に立ち止まる人
赤信号だろうが構わずに渡ってしまう人
横断歩道を渡らずにちょっと外れたところを渡る人
一度立ち止まるが、赤信号を無視する人が多いのを見て自分も渡り始める人
あなたは、青信号に変わるまで待ち続けます。
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私なりに人々の対応を分類してみました。
・合理主義タイプ
青だろうが赤だろうが、安全が確認できれば渡ってしまう。
ex.「だって車来てないし待つ必要ないでしょ」
・無謀タイプ
車が来ようが来まいが、自分が渡りたいから渡る。
ex.「いいじゃん別に」
・みんなで渡れば怖くないタイプ
ex.「みんな渡ってるし」
・嘘付けないタイプ
ex.「だってルールはルールでしょ」
1人ひとりに、「あなた今何で渡ったんですか?(渡らなかったんですか?)」なんて聞けないので、私の勝手な予想ですが、おそらく最も多いのは「合理主義タイプ」と「みんなで渡れば怖くないタイプ」であろう。
私が日々観察する限り、挙げたようなケースで信号を待つ人は2割。ほぼ赤信号でも渡ってしまう。
ちなみに、私は「嘘付けないタイプ」。
自分がいわゆる根っからの優等生タイプであることは認めよう。
「規則は破るためにある」なんてぬかす奴は顔の形が変形するまで殴りたい。(冗談です)
何に嘘がつけないかと言うと、我が子に嘘がつけないんです。
子どもには「赤信号は渡ってはいけませんよ」って言うじゃないですか。
「周りの状況をみて、大丈夫だったら赤信号でも渡って大丈夫だよ」とは言いませんよね?(言う親もいるかな、、)
規則、それが非合理的なもので納得いかないものだとしても、
人々がそうしなければならないと決めたものは仕方なくでも守る必要がある(と思う)。
「人を殺してはいけないいけないのは何で?」
なんて、大学生くらいの人が真面目に質問してスタジオ全体が凍りついた、みたいな討論番組ありましたよね昔。
法律のような強制力があるものは言わずもがな。暗黙のルールのようなローカルルールっぽい守る必要があるんだか、無いんだか分からないものもありますが、社会生活を営む上での約束事がルールな訳です。
例えば、子どもにこう聞かれたとする。
子:「何で赤信号で渡ったらいけないの?」
親はこう答える。
親:「車に轢かれたら死んでしまうでしょ」
ある場合はこう答える。
親:「それがルールだからだよ」
子どもは子どもなりに賢く、成長していくと私は思う。
成長していくにつれ、前者の子どもはこう考えるようになるかもしれない。
子:自分で危険でないと判断できれば、ルールは自己都合で変えても良い。車が来なければ赤信号を渡っても構わないし、人が見ていなければゴミを捨てても良い、バレなければ悪いこともして良い。
しかし、どの子どもが拠り所とする判断基準とはどこから得るのだろうか?親から?友人から?
後者の子どもは、こう考えるかもしれない。
子:「ルールはルールであるから守らないといけない」
前者の子どもに対する認識は、拡大解釈が過ぎるでしょうか?
あまりそうは思いません。確かに、成長していく過程で自分自身で考え、考え方を変化させていくこともあるでしょう。しかし、親の影響というのはある意味とても大きいものとも言えます。
ちなみに、私の親は子供のころ私にこう言っていました。
「神様が見ている」
多くの日本人と同じように、特にこれといった宗教を信仰している訳ではないけれど親はそう考え、子どもの私にそう教えた。とても心に残っている。
だから、誰が見ていようといないと赤信号は渡らないし。私としても、子どもには「赤信号は渡ってはダメ」と口では言いながら、自分は合理主義的に状況判断して渡る。そんなダブルスタンダードにはなりたくない。
信号を渡るなんて、日常的で何気ないことではあるのだけど、
親として子にどう向き合うのかを考えるのは大切だと思った。
あなたは、信号どうしてますか?
※ちなみに私に子供はいません笑
もしサポート頂けることがあれば、それは金額の多寡というより、そのお気持ちが私に多大なる自信を与えてくれます。それに感謝致します。