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承認は求めない…

嫌われる勇気 No18 アドラー心理学の考える自由とは

「いまわれわれが語るべきは、善悪の判断でも道徳でもなく、”勇気”の問題です」哲人はそう言いました。加えて、具体策を求める青年に対し、勇気を語る上で欠かせない、自由とはなにかについて議論するよう提案します。

そう、焦らず、冷静に、順を追って、深呼吸、深呼吸…

使用の心理学

「アドラー心理学は、”所有の心理学”ではなく”使用の心理学”」哲人はまず、そう言います。フロイト的な原因論は”所有の心理学”であり、やがて決定論に行きつく、一方、アドラー心理学は”使用の心理学”であり、決めるのは自分。青年は言います、「アドラー心理学とは、”勇気の心理学”であり、同時に”使用の心理学”である…」。

例えばここにスプーンがあるとして(実際今あるのです。ヨーグルトを食べたので)、些末な例えですが、原因論では、「これはスプーンであり、広い面ですくって食べると教わった、から、そう食べねばならぬ」という感じでしょうか。一方で、アドラー心理学的に言えば、「これはスプーンであり、広い面ですくって食べると教わった。でも、それを使うかどうかは自分で決める」…。合ってるかな…。

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他者からの承認を求めてはいけない

原因論の流れで、青年は、親の意向にどれだけ苦心してきたか回想します。大学図書館の司書をしている青年は、常に兄と比較され、青年を認めようとしなかった両親を”厳しい人たち”と表現しました。ただし、両親は敵ではない。実際に両親が望むであろう大学に進学した時、「この学校ならさすがに認めてもらえるだろう」と考えたそうです。

哲人に誘導されるかのように青年は、「”承認欲求”ですよ。対人関係の悩みは、まさしくここに集約されます。われわれ人間は、常に他者からの承認を必要としながら生きている」と言います。

待ってましたと言わんばかりに、哲人は言います。「アドラー心理学の大前提をお話しましょう。アドラー心理学では、他者からの承認を求めることを否定します」と。青年が納得するはずもありません…

色々な考え方があって良いと思います。選べるのです。私は他者からの承認を求める、とも、私は他者からの承認は求めない、とも。

「あの人」の期待を満たすために生きてはいけない

その言葉を哲人は、ごみ拾いで例えました。職場でごみ拾いをする自分。もしそれを誰からも感謝されなかったら?青年は「やめてしまうかもしれません」と答えます。その思考過程に哲人は待ったをかけます。「ほめてもらいたいという目的が先にあって、ごみを拾う。そして誰からもほめてもらえなければ、憤慨するか、二度とこんなことはするまいと決心する。明らかにおかしい」。それに対し、青年は、「身近な人から受け入れられたいと思うこと、これは当たり前の欲求です!」と憤慨。哲人は、冷静に、「われわれは他者の期待を満たすために生きているのではないのです」と言います。「他者の期待など、満たす必要はない」、更に続けます「他者からの承認を求め、他者からの評価ばかり気にしていると、最終的には他者の人生を生きることになります」と。

なんとなくわかる、なんとなくわかるけど、もう一つ合点がいかない…

ここは素直に哲人の言葉に耳を傾けます。「他者から承認をしてもらおうとするとき、ほぼすべての人は”他者の期待を満たすこと”をその手段とします。しかし、仕事の主眼が”他者の期待を満たすこと”になってしまったら、その仕事は相当に苦しいものになるでしょう。なぜなら、いつも他者の視線を気にして、他者からの評価に怯え、自分が”わたし”であることを抑えているわけですから」

確かにそうでしょう。でも、”わたし”を強く出すことはなかなか大変です。なんでかなぁ。日本人だから…?それは、多分、人生の嘘

では、身勝手になれば良いのか、その青年の疑問に、哲人は、「”課題の分離”という考え方を知る必要があります」と言います。

課題の分離…、また、明日!!

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