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私が、このnoteを書く目的
嫌われる勇気 No20 課題の分離2
名著「嫌われる勇気」の読書感想文も20回を迎えました。ページ的に言うと、150/294。やっと五合目といった所でしょうか。五合目…。こっから自分の足で歩いて登ってく感じでしょうか…
そもそも、私がこのnoteを書いているのはなぜか。今日は後半でその目的と課題を考えてみたいと思います…
他人の課題を切り捨てよ「むずかしい、むずかしいですよ、それは!」青年は
完璧主義は改める
他人の依頼に対する完璧主義は、その依頼について、どこまでやれば良いかをその人に確認して、そこまで、自分に出来そうならやる
自分に対する完璧主義は、すぐに止める
なぜなら、終わりがない無理ゲーだから、自分が壊れてしまうから
そもそも、完璧などはないと心得る
自分の弱点を理解し、自覚したら、その弱点を持って、誰かを助ける事
自分と同じように踏み外しそうな人を見つけたら、「おい、それ大丈夫か?」と気にかけてあげる。
だって、その踏み外した先にある痛みを、私は知っているから。
だから、そのことをお知らせあげる。
情けは人の為ならず
昔、Facebookでなぜか外国の方からDMが来た
何となく、英語でやりとりをしてしまった。何か、良い人っぽくて…
しかし、徐々に雲行きは怪しくなり
日本に来たいから、場所を用意して欲しいとの事
なんとなく、大変な状況の様子
今思っても、なぜやりとりを続けたのか…
最近、というか、少し前から気づいた事がある
自分の中で“違和感”を感じる時、それは、高確率で何かを忘れている
今日も、朝出る時、同じ違和感があった…、でも、勢いで家を出て…
駅で、鍵付きPASMOケースを忘れている事に気づいた
あぁ、やっぱり…
あの違和感を感じたら注意
対人関係で何か問題が起こった時、その問題を起こした人の話題で持ちきりになるけど、
実は、その周囲の人間の態度や反応に、その人の大事な部分が顕れていることが多いと思う
だから、問題を考える時は、必ず、周囲の人間の態度や反応とセットで考えるようにする
人は、一人では生きられない
こうなるだろうなぁと思う事と、こうなって欲しいなぁと思う事がズレる経験を良くする
後者は願望や欲望だから、そうならない事はよく分かるし、わざわざ考えているという事は、現状は“違う”という事
しかし、前者は、様々な情報からの無意識的、意識的な予測なのか、割とその通りになる…
凶悪な事件やショッキングな事件を目の当たりにすると、その影響は甚大
それは、印刷物しか読めなかったゲーテの時代からあり、その原因となった作品に因んで“ウェルテル効果”と呼ばれる
しかも今回は、何度も繰り返し映像が流され、多くの人がその映像に触れた
意識して休息を取ろう!!
人が、誰を、何を、選ぶかは関係ない、自分が、誰を、何を、選ぶかが肝要
昨日の選挙は、そんな気持ちを強く揺すぶられる結果となった
そして、自分がいかに選挙に興味なくこれまで生きてきたかを恥じた
これからは、もっと国政に興味を持ち、出来るだけ高い視点から自分の国を眺めていきたい
ショックな映像み観た時、何かもやもやした感覚に見舞われた
同じような思いをした人がいるかもしれない
そういう時は、深呼吸をして、こころにスペースを作る
からだに注意を向けて、自分のからだの感覚をじっくり感じる
自分の立ち位置や軸をしっかり持つこと、そのブレも含めて意識する
自分をどう見せるかは大事
一人の中には10前後のペルソナがあると言われている
それは、病気とかではなく、我々は常に、その時その場に会った“わたし”で臨む
であるならば、それを意識して、どう見せるかを意図的に使い分けた方が良い
その見た目で影響力が変わる
人は見た目が9割
意識的な抵抗が湧くのをなるべく避ける
もちろん、言葉によるコミュニケーションで無抵抗に伝わり合う人もいる
被暗示性の高い人と言っても良い
一方で、疑り深い人、いわゆる堅い人は、言葉は難しい
それ以外の方法、例えば、からだを介したやりとり等、非言語的なやりとりが有効だと思う
ある人が、自分の手柄や作品を脅かされる事に過剰に怒る、という事をする
いや、正しくは、そうしているように見える
それに対して、私は、怒りを覚える
同じ組織なのだから、もっと風通し良く、と
しかし、それは、抑圧され自己により否定された自己愛の投影
導きたまえ、ありがとう。
差別と区別は違う
これは難しい問題だけど、考えなければならない問題
人と人は、違う
体型も出自も知能も考え方も何もかも、それは、有名な一卵性双生児の実験からも明らか
それを違わないとするならば、それは、皆同じ尊厳を有しているということ
あとは、その人に合った環境を考える
あいにくの曇り
しかし、たまには良い
今日も、緑のトンネルを抜けて出勤
途中、蜘蛛の糸にひっかかる
が、“幸運の糸を手繰り寄せた”として、ラッキーってことに
現象は、捉え方次第でいかようにも変わる
どうせなら、より良い捉え方にしといた方が自分と自分を取り巻く他者のため