2020/1/8 「スパイの妻」黒沢清監督 リモートトークショーに寄せて
初出:2021/1/11
https://necorative.hatenablog.com/entry/2021/01/11/034150
2020年1月8日、大阪は十三の「第七芸能劇場」で、映画「スパイの妻」の上映と、黒沢清監督によるリモートトークショーが行われました。
21時半から22時半までZOOMの画面が劇場のスクリーンに投影され、黒沢監督と、進行の西尾孔志さんを中心として、様々なお話がなされました。
西尾さんは映画監督でおられ、プロと映画ファン双方の目線を合わせもっておられるように感じられました。
参加者からも様々な質問が募られ、ボリュームたっぷりの、まさしく参加して良かった会合でした。
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私は今回、特に、俳優各位の演技に関するエピソードが大変印象に残りました。
進行の西尾さんから話題を振られ、自分は芝居は苦手だからと笑っておられた黒沢監督ですが、メイン三名の演技に対しては、1940年代、50年代の映画のように演じてほしいという指示を出されていたそうです。
見事にそれを演じきった人物たちは、神戸や前橋の重厚な建築物や、作品のためにあつらえられたという衣装とあいまって、美しい時代風景を生んでいました。
Youtube movie collection JP サムネイルより引用 https://www.youtube.com/watch?v=rYb47Je-Kak
憲兵 津森泰治について
トークショー内で、会場から黒沢監督に対してこのような質問がありました。
「東出昌大さん演じた憲兵の津森は、メディアなどでは不穏なキャラクターとしてクローズアップされている。監督はそういった意図で演出したのか?」
「ラストシーンで、蒼井優さん演じる聡子をぶったあと、津森の前髪がはらりと落ちた。髪型のみならず、その姿も変わったよう見えた。そこにどのような意図があったのなら教えてほしい」
黒沢監督は、憲兵とはいえ普通の人間なので様々に心が揺れていて、他の部下のいる前では自分の心の揺れを一切見せないような人物像として、ざっくり東出さんにお願いしたそうです。(お願いしたという表現に、監督の役者さんに対する信頼を感じとりました)
また、東出さんは撮影前最初に「まったく何もないノーマルな人物として演じるのか、サディスティックな、心に冷たいもののある恐ろしい人間のようにか、どっちですか?」と監督へ尋ねたとのこと。
それに対して監督は、悪魔みたいに、サディストみたいに演じないでください、と答えられたとのことです。そして、そのあとは東出さんなりに作っていったと。
憲兵の制服を着て、制服の部下がずっと並んでいると、非人間に見えたのかもしれませんね、と監督は語られました。
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第二の質問、髪型とラストシーンについてです。
東出さんは、蒼井優さんから演技の中で問い詰められていったあたりから、顔つきが変わったそうです。
作中では津森が聡子をぶってから、かっちりと七三に分けていた前髪が、はらりと零れ落ちます。まるで計算されたように乱れた髪型でしたが、監督曰く、髪型はたまたまばさっと落ちて、そうなっていったそうです。
このラストシーンでは、メインのカメラで蒼井さん東出さんお二人の芝居を撮っていたそうですが、Bカメでは出さんだけを追っていたとのこと。
あとからラッシュを見返したら、そのBカメの映像は面白いものであったと語られました。
元々は使うつもりはなかったそうですが、使おう使おうと思いながら、その一部を本編へ組み込んだ、と。
最後のぼんやりと椅子に座っている表情は作中では非常に印象的でしたが、当初は使うつもりはなかったとのことでした。
.東出さんは、「心が壊れてしまった表情」をたまたま見せてくれたとのことでした。
私の感想 ~憲兵 津森について~
元々、黒沢ファンというよりは俳優・東出ファンである私は、いわばミーハーな動機から本作に興味を持ち始めました。
推しが演じる役柄であることはもちろんですが、私が津森泰治に興味を持つ理由は、彼の中に「人間的な感情の葛藤」を感じていたためです。
これは、私の初見時の感想です。((当初スパイの妻はBS8K放送のみだったので、NHK放送局のロビーまで見に行きました))
写真は、作中序盤での朗らかな日常に、最初の暗雲が差し掛かるようなシーンです。
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黒沢監督による東出(文章のリズム的に、以下、各敬称略)は、感情を知らない宇宙からの侵略者や、わずかな出演時間にも関わらず視聴者にインパクトを残した牧師などの、「散歩する侵略者」シリーズが印象深いでしょう。
また、「クリーピー」で西島秀俊演じる元刑事に全てのきっかけを持ち込んだ若手刑事の役は、淡々と物語を引っ張っていく様子が、まるで舞台装置のようでもありました。
しかし本作での東出は、感情を知らない宇宙人ではなく、冷徹さと同時に、朗らかな様子や深く傷ついた姿も見せる、「人間としての厚み」を持ったキャラクターのように私には思えました。
そのため、トークショー内で監督がおっしゃられた、「人間としてのゆらぎ」という表現が大変印象深く、また、自分の感じていたとおりだったのかと驚きました。
津森は、結婚こそしなかったものの、幼馴染であった聡子のことを慕っていたことは間違いないでしょう。
その好意の形は、自分が一緒になりたいという利己的な気持ちではなく、その人が夫と平穏に暮らすことを望む、いわば利他的な形に見えました。
拷問の末に剥いだ生爪を高橋一生演じる優作の掌に落としながら脅すという、一見サディスティックで冷酷なその姿の根底には、聡子への慕情が隠されており、その揺らぎを部下らの前に決して見せまいとした津森の、感情を抑え込む苦しさすら感じられました。
想い人を捕らえることを強いられ、人前でぶつことを選ばざるを得なかった憲兵は、聡子に問い詰められて顔つきが変わります。
そして最後には狂人のようになった聡子に対し、心の壊れたような表情を向けてしまった。
津森は部下の前では感情を押し殺すことを強いられたのでしょう。
憲兵隊長という社会的な立場にある彼にとって、既に夫のある聡子への想いを表現することは、大変に難しいものでした。
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日本のものではいけませんかと、時代に逆らって洋装をする幼馴染を心配することでしか、
お国のために努めなさいと、その夫を脅すことでしか、
隣人への愛を表現することは叶わなかったように、私には思えました。
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愛は寛容であり、愛は親切です。
礼儀正しく、自分の利益を求めず。
怒らず、人のした悪を咎めず。
不正を喜ばず、真理を喜びます。
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しかも愛は、決して絶えることはありません。
これは、「散歩する侵略者」で、東出演じた牧師の語った言葉です。
愛の概念について曖昧に語った東出が、同じ黒沢監督作品で、愛について実践した。
そういった人物像を、私は憲兵 津森泰治に感じました。
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最後に、私の友人である<a href=https://twitter.com/treefroghyla target=_blank>あまがえるさん</a>が描かれた津森泰治の似顔絵で、この文章を締めさせていただきます。
あまがえるさんのツイートより 引用 https://twitter.com/treefroghyla/status/1318224249434169348
竜胆の花言葉は、「誠実、正義」「悲しんでいる貴方を愛する」
山歩きを好む津森によく似合う野の花ではないのでしょうか。
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