茨城近代美術館 夭折の画家・中村彝
夫が茨城県の某小都市に異動になったので、そこからわりと近い水戸をめぐりました。ペーパードライバーのため、地方では行ける場所が限られてしまいますが、水戸は県庁所在地だけあって、駅の近くに見どころが多いので助かります。
水戸には以前友達が住んでいたので、歩き慣れている…といっても、友達も私も歴女なので、詳しいのは水戸城址や藩校・弘道館といった史跡だけ。今回は、千波湖畔にある茨城近代美術館を訪問するのが目的です。
1988年、バブル期にオープンした建物だけあって、とても立派な建物でした。東京の近代美術館より豪華じゃないかな。ロビーにロダンの彫刻がさりげなく飾ってあったりして。
常設展(美術館の所蔵品を展示)にも印象派の絵画が複数展示されていました。高かったんだろうなー。そのお金で日本の近代絵画を買ってほしかったと思ってしまいますが、印象派は大人気ですしね。私だって、西洋美術館の常設展ではモネの絵が一番印象に残っています。
ただし、常設展のメインは茨城県ゆかりの画家たちの絵でした。岡倉天心が茨城に居住していたり、また東京にも近くて便利なのに、絵になる風景も多いという土地柄もあったりするのか、茨城県にはゆかりの画家が多いようです。小川芋銭・横山大観・菱田春草といった、有名な画家の絵が並んでいました。
中でも、横山大観と並んで複数の絵が飾られていたのが、中村彝(1887〜1924)です。
今年の春に近代美術館の特別展『重要文化財の秘密』を鑑賞した時に、彝の絵「エロシェンコ氏の像」に出会いました。
ロシア人の詩人であるエロシェンコは、魯迅の友人で作品にも登場するので、私には馴染みのある人です。最初は、彼の肖像画を描いた作家として彝に興味を持ったのですが、彝が新宿中村屋のサロンに出入りしていたと知って、ますます興味を惹かれました。今読んでいるプルーストの『失われた時を求めて』には、貴族やお金持ちのサロンが登場します。それを日本に移し替えたのが、中村屋のサロンだろうと思いながら小説を読んでいます。個性的な女主人、サロンに出入りする芸術家たち。彫刻家の荻原碌山、高村光太郎、中村不折、会津八一など。彝は中村屋の娘と恋愛関係にあり、彼女をモデルにした絵を何点か描いています。
その時に水戸が彝の故郷であり、茨城県近代美術館に彼の絵が多数所蔵されていると知り、いつか行こうと思っていたところ、夫が茨城県に転勤になったわけです。
今の時期は、彝の静物画四点と人物画一点が展示されています。来年が彝の没後百年の年ということで、学芸員さんによる解説まで聞けたので、理解が深まりました。
また、美術館の庭には下落合にあった彝のアトリエが復元されていました。アトリエ自体は復元ですが、彝の遺品が展示されています。「カルピスの包み紙のある静物」に描かれている台やエロシェンコが座っている椅子などがあり、結核のため出歩けない彝が身近なものを絵に取り入れていたことがわかりました。
近代美術館には、他にも彝の絵があるようなので、また訪ねてみたいです。また、下落合にもアトリエが復元されているので、そこも訪ねたいです。
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