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『プロット・アゲンスト・アメリカ』 現代の映し鏡のような小説

 フィリップ・ロスの『プロット・アゲンスト・アメリカ』は、1940年のアメリカ大統領選挙で、ルーズベルトではなくリンドバーグが大統領に選ばれる世界を描く歴史改変小説です。

 リンドバーグは、大西洋横断飛行に世界で初めて成功したパイロット。アメリカだけでなく、世界中で大人気だったそうです。ただ、ナチスの高官たちと親しく、ユダヤ人嫌いを公言していたので、第二次世界大戦前後を舞台とする小説では、イギリスのエドワード八世前国王(離婚歴のある女性と結婚したために、王位を弟のジョージ6世に譲る)などと共に、問題のある人物として描かれることが多いです。
 なので、lfの世界線として、ルーズベルトを大統領にする設定はとてもわかりやすいのですが、この小説を刊行時(2004年)に読んでいたら、「いくら何でも、リンドバーグが大統領にはならないよね」と感じたのではないかと思います。

 アメリカは大統領制なので、国会議員しか首相になれない日本とは違い、政治に縁のない人でも大統領になることができます。でも、知識としてはそれを知っていても、現実にそんなことがあるとは考えられなかった気がします。2004年当時のブッシュ大統領は元テキサス州知事ですし、父親も大統領を務めています。その前のクリントンは、元アーカンソー州知事です。レーガン元大統領にしても、もともとはハリウッドの俳優ですが、カリフォルニアの知事もやっていますし、ハリウッドの歴史的にも、俳優としてよりも赤狩りの協力者として名前を見かける方が多い、政治的な人でした。
 大統領選挙に人気投票的な面があるにしても、ただのパイロットが選ばれはしないだろうと思いたくもなります。

 でも、今では、トランプ前大統領という、政治とは無縁だった人が大統領に選ばれるのを目の当たりにしたので(選挙の当日、民主党が強い州にいたので、人々が呆然とする様を目撃しました)、リンドバーグ大統領も荒唐無稽とは思えません(解説によると、作者のフィリップ・ロスは、トランプ大統領よりはリンドバーグ大統領の方が現実味のある話だと考えていたようです)。

 トランプ大統領は、共和党の足並みが揃わない隙間を縫って、大統領候補に選ばれました。小説の中のリンドバーグも同じです。
 当時は既にヨーロッパでイギリスやフランスと、ドイツの間の戦争が始まっていたのですが、共和党では、戦争不参加&孤立主義を訴える候補と、逆にルーズベルトに同調して戦争参加を訴える候補にわかれ、まとまりがつかなくなっていました。
 共和党の主流派である孤立主義の候補は揃って決め手を欠きます。現実の世界では、その隙間を縫って、共和党の方針とは違う意見を持つ主戦派(開戦論)のウィルキーが大統領候補に選ばれるのですが、彼も、リンドバーグやトランプと同じく、政治家歴のない人でした。 
 日本もそうですが、進むべき道筋が見えない時、これまでの政治家では駄目だと考えて、新しい人を選びたいという気持ちが高まるのかもしれません。現実でも、当初は泡沫候補だと思われていた実業家のウィルキーが選ばれたのですから、同じく政治経験のないリンドバーグが選ばれる世界があっても不思議ではないと、ロスの小説を読みながら、考えました。

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 リンドバーグはナチスにシンパシーを持っていましたが、小説の中のアメリカは、ドイツ側に立って戦うわけではありません。ヨーロッパの戦争には関わらないという孤立主義を貫いただけです。ですから、アメリカに住むユダヤ人は、ドイツの占領地のように、強制収容所に入れられたりはしません。
 しかし、ユダヤ人嫌いを公言する人が大統領に選ばれたために、国民の間でも、公然とユダヤ人を差別する人が現れます。ユダヤ人だとわかると、ホテルの部屋を勝手にキャンセルされたり、目の前で差別的なことを言われたり……。ユダヤ人にとって、アメリカという国が住みづらい場所になる過程が、少年の目を通して書かれます。

 また、それまでは一つの場所ーーユダヤ人街に住んでいた人たちを別の場所に移し、アメリカ的な価値観に馴染ませようとする政策も始まります。
 この部分は、日本という比較的均質な社会に育った私には、理解しにくい面もありました。外国人に対して「日本の習慣を受け入れられない人は自分の国へ帰れ」という意見をSNSなどでよく見かけます。それを見るたび、悲しい気持ちになりますが、私の中にも「郷に入れば郷に従え」という日本らしい感性があるのは間違いないです。
 もちろん、アメリカは移民の国ですから、日本とは事情が違いますが、生活習慣など全てに渡り、ユダヤ民族のやり方を貫くのは大変だと思ったり、実際に、ユダヤ的な習慣を捨てて、アメリカ的な価値観に歩み寄る人々も少なくないんだよなと思ったり…自分で民族らしさを捨てるのと、国にそれを強要されるのは、まるで違うこともわかってはいるのですが。
 植民地になったことがない日本、つい最近まで比較的均質な社会だった日本に生きる私には、少数派の人たちーー難民や移民、少数民族などの苦しみが理解できていないことが、自分でもよくわかりました。
 自分の限界を知りーーそしてまた、小説では少数派として迫害されるユダヤ人が、現実ではパレスチナの人たちの自由を奪ってしまっている……。
 色んな意味で現実とリンクする作品でした。

 作者のロスは米文学界の巨匠ですが、とても読みやすい作風です。歴史的事項の説明が巻末に載っています。


 



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